人を恨む教育の悲しきことよ

日本の近隣国で、

日本人を恨むよう仕向ける教育がなされています。



日本人は、

それをしかたないと思っているのでしょうか。





国内ですら、

日本人を恨む教育はなされています。



私が中学生の頃、

社会科の教師Nがまさにそうでした。

今振り返るに、

Nはどこかで聞きかじっただけの話を

生徒たちにしていたのです。



それは、

第二次世界大戦中

日本の軍人が、

他国の民間人に対して

非常に残虐なことをしていた

という話でした。




まるで見てきたかのように話すNでしたが、

その出典をいいませんでした。



事あるごとに、

同じ話をするのでした。





そもそも私はNという人間を

教師として信用していませんでした。



彼の授業は、

ただ教室にやって来て

教科書を読み、

指導用参考書のようなものを

黒板に丸写しするだけ。

あとは、くだらない話をするだけ。

くだらない話の手持ちは少数で、

その中に、

軍人の残虐話がはいっていたのでした。



信用していない人間の話すことなど

どうでもいいので、

私は不快に思いながらも

やり過ごしていましたが、

もしあれが、

心から尊敬する師の語る話だったら

どうだったでしょうか。




14、5歳という

「物事の本質を知りたい」

という欲求が強い
年齢で、

自分たちの先祖が

非人間的だったという話を

繰り返し聞かされていたら。



私は日本人を恨み、

反社会的な行動をする人間に

なっていたかもしれない。



そう思います。

行動力は人一倍でしたから。







日本軍の残虐話は

でっち上げが多いです。

そう知ったのは、

成人し、かなり経ってからでした。

それまで誰も教えてくれなかったというのは

恐ろしいことです。







さて、

誰かが悪いことをして、

たとえそれが本当でであっても、

そのことで人を恨む教育は

してはなりません。



真実を話すことは必要だとしても、

それを

恨みの念に持っていかないようにしなければ。




ここが普通は難しいのですが、

人間の本当の姿がわかっていれば、

できることです。

自分が愛と善と喜びのかたまりであるのと同様、

悪事を働いた人も愛と善と喜びなのですから。

本当は。



「罪を悪んで(にくんで) 人を悪まず(にくまず)」

です。







恨みを持ったまま成長することは、

その人の心をゆがめます。






今すでに

恨む教育をされてしまっている人たちには、

その恨みを解いてあげることも

私たちの義務ではないかと思います。



日本人が

不当に恨まれているままで、

のんきにいていいはずがありません。





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