誰のせいでもない人生

ある人が、
「自分にはなんの才能もない。」
と思ったとします。

するとその人は、
いつまで経っても
才能を開花させることができません。


またある人が、
「自分は誰からも愛されない。」
と思ったとします。

そうするとその人は、
愛してくれる人に巡りあっても
気づきません。



才能も愛も、
「ない」のではありません。

「ない」と思い込んでいるのです。
本当は「ある」のに。



思い込むきっかけは
なんだったのでしょう。

誰がそのきっかけを作ったのでしょう。

探し出したくなる気持ちはわかります。

けれども、
きっかけや犯人探しは、
「あの人のせいだ」
「あれがあったから、
私はこうなってしまったのだ」
と納得して終わる。

それだけです。
前へ進むことはないでしょう。

自分のせいじゃない、
◯◯のせいだ、
という理由を掲げていれば済むから。



そんなことよりも、
「ない」は思い込みだと気づいたら、
「本当はある」に切り替えることです。

これは本人の選択にかかっています。

他人が切り替えてあげることは
できません。
自由を侵すことになるから。



誰かのせいでこうなった、
は終わりにしませんか。

自分のせい?

自業自得ということでしょうか。

それも終わりにしませんか。


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メンタルコンサルテーション
静かな樹


どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。