肉体は自分の表現体

つい、
「なりたくて
この体になったのではない」
と思いたくなります。

表面的な美や強さを
基準にしていれば、
そうなります。

いやちがう、
人間の価値は
そこにはないはず、と
なんとなくは
わかっていても。



誰がなんといおうと、
人間の価値は
心の奥にあります。

それを
とことん追求する人が
自分の人生の勝者です。



自分の体は
自分の表現体のひとつ。

人生という舞台に
現れるために
自分で縫った衣裳とも
いえます。

自分で選んでいます。

あるいは、
選ぶ必要があったのです。



「なんでこの体」
と嘆いて終わるか、
選んだ表現体を駆使して
舞台上を
所狭しと演じ切るか。

どちらかです。

どちらもよし

生涯の大半を
ひとつのことに費やす人。

仕事であっても、
芸術であっても。

何かを
成し遂げるであろう人。

その一徹さは
賞賛に値する。



興味が
次々と変わる人。

落ち着きがないとも、
飽きっぽいともいえる。

もしそれが、
人に大きな迷惑をかけるなら、
どうしたものかと
考える必要がある。

しかし、そうでないなら、
「好奇心が旺盛」
と捉えてはどうだろう。



生かすも殺すも
捉え方次第。

使い古した布地だって、
ボロと捉えれば、ゴミ。

素材と捉えれば、
刺し子やパッチワークで
よみがえる。



人生、
一徹もよし、
好奇心旺盛もよし。

岩にぶつかってもサラサラと

協調性を持つことは
大事ですね。

とはいえ、
なんでも人に合わせるのは
よくありません。



「自分」というものが
あった上で、
合わせるところは合わせる。

この順序でないと、
社会の波に
左右されることになります。

また、
自分を生かし切ることが
できなくなります。



「自分」を尊重できる人。

他人との比較なく。

犠牲的精神なく。



流れる水のごとく、
そのときどきを
サラサラと生きていける人。

岩にぶつかっても、
かわして先へ進める人。

結局、
確実にゴールへ
到達できるのは、
そういう人。

地球上の美と自分

それはそれは
バラエティー豊かな
地球上の自然。

いまだ人間が
知らない種(しゅ)も、
たくさんあるでしょう。



地球をただ運営するだけなら、
こんなに多くの種は
必要ないはず。

生きるだけなら、
美しさなど
どうでもいいはず。



ところが、
驚くほどの数が
この地球で生きています。

静の美、
動の美、
未知の美を表しつつ。



そういうものに
囲まれて、
人間は生きています。

そのことに感謝
しなければなりませんね。



自分が在ることにも
感謝してください。

今ここ、
地球という舞台で、
存分に表現するために
生きています。