「たかが」

肩こりが多い国、日本。

がんばり過ぎと
姿勢の悪さが
おもな原因でしょう。



肩こりは
肩こりだけで終わりません。

首から上の
さまざまな不調へと
つながっていきます。

なぜか。

簡単にいうと、
脳に血液を送る血管が、
肩こりでギューッと押され、
十分な血液を送れないから。



肩こりがひどい人ほど、
認識していません。
ひど過ぎて
感じなくなっているのです。

そして、
首から上に出ている症状を
なんとかしようとします。

たとえば、薬を飲む。



困ったことに、
そういう人に
肩こりを指摘しても、
一大事ととらえません。

「相当ひどい肩こりですよ。
まずはそれを
何とかした方がいいですよ」
の提案を、
受け入れる人は少ない。

「たかが」肩こりと
思っているからです。



首から上には
大切な器官が
たくさんあります。
(もちろん、
人体に大切でない器官
などありません。)

それなのに、
その器官の不調の
大元である可能性が高いと、
医者が指摘している
肩こりを、
「たかが」として
そのままにする。

不調にだけ対処しようと
薬を飲む。



何かというと薬、
というのは、
処方する医者について
いわれがちですが、
薬で済ませようとする
患者(単なる不調人)にも
その傾向はありますよね。



肩こりは
「たかが」ではありません。

そして、
服薬より前に
できることはたくさん
あります。



あなたの体。

人生を生き抜く相棒である、
魂の乗り物を大切に。

人間が作り出せない「有」

精子+卵子で、
一年も経たずに
精巧な人体が生じる。

土に種を植えることで、
その中身とは
似ても似つかない
枝、葉、花が生じる。

遺伝子がどうとか、
種の栄養分がどうとか、
理屈はあれども。

突き詰めていくと、
人間の知恵では
説明不可能な神秘が
そこにある。



どんなに研究しても、
人間は
「無」から「有」を
生み出すことはできない。

何かしらの「有」を
基にして
作り出しているだけ。

そのことを
しっかりと心に留め、
謙虚であるべきです、
人間たちは。



どうあがいても
自分たちには作り出せない
「有」だらけの
地球の恩恵を受け、
人生経験を積ませて
もらっていることに
感謝すべきです、
人間たちは。

緩急

がんばる。

このことばを
よく使う人は、
無理しがちな人。

体には
緩急が必要なのですが、
がんばる人は
急急で生きています。

緩がない。



睡眠をとれば
それでいいと
思っている人も、
がんばる人。

休日でさえ、
体を緩めることなく
がんばって
活動してしまう。



主な理由は
次のようなもの。

休むことはなまけること
と信じており、
人から「なまけ者」と
思われたくない。

あるいは、
太く短く生きるのが
かっこいいと
信じている。



体を大切にするには、
やはり緩急です。

太く短くではなく、
太く長く
生きませんか。

自分の体、
自分の人生なのですから
人がなんと思おうと
いいではないですか。

執着の逆

執着の逆は
自由自在。

執着するのは
凝り固まること、
自由を失うことです。

せっかく
人間には自由があるのに。

自由を失う選択をするのも
その人の自由
ではあるけれど。



体に血液が流れることで
生きているのと同様、
心も自由に流して
のびのびと。

それでこそ、
人生は常に新しい。