大切なことはたくさんあるけれども

生きるにあたり
大切なことはいろいろある。

人によってもちがうだろう。

それでもやはり、
すべての人にとって
一番大切なのは、
愛と自由ではないかと思った。

だとすると、
本当の愛とは何か、
本当の自由とはどういうものなのか。
それをまず知らなければ。

勘ちがいしたまま追い求めても、
本物は得られない。

危ない方向に
進んでしまうことすらある。



ただ生きるのではなく、
価値ある人生を送りたい。
そう願うなら、
本当の愛と本当の自由を具現しよう。

そこからあふれる喜びは、
自分の人生をうるおし、
さらにはまわりの人々にも伝わるだろう。

そういう人間でありたいものだ。


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メンタルコンサルテーション
静かな樹


どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

檻(おり)はすでに無いのに

誰もが考える。
「どう生きようか。」

考えるのは同じだが、
その内容には
大きく分けて2種類ある。

ひとつは、
どうやって食べていこうか。
どうやって生きながらえていこうか。

もうひとつは、
どういう人間になろうか。


ひとつ目を
必死になって考えなければいけない
時期にいる人もいる。
そいういう地域に住む人もいる。

これも実は、大切な人生経験。


そういう時期は終わった人、
そういう地域に住んでいない人は、
「どういう人間になりたいか」
に焦点を当てるべき。

人は、
食べるために生きるのではないから。


食べるために生きる時期は
とっくに終わっているのに、
それを認めない人がいる。

認めなければ抜け出せない。

すでに自由なのに、
いつまで経っても同じ位置。
檻(おり)の中。

「大変、大変。」
と言い暮らして、
檻から出ない人がいる。

出るのが怖いのか。
自由に伴う責任を果たしたくないのか。
「大変ですね」と同情してほしいのか。

そういう人生で十分な人など
ひとりもいないのに。


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静かな樹


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外は有限 中は無限

肉体は有限。
物質も有限。

だとすると、すべてははかない。
消えてなくなるものばかり。

そういう中で
必死に生きる意味はあるのか。

人に迷惑をかけて生きている人は、
さっさと死んだ方がいいのではないか。

という考え方になっても
不思議はありません。


ところが世間には、
「どんな人も殺してはいけない」
と考える人が一定数います。

その思いはどこからくるのか。

生きる権利は誰にでもある。
では、誰がその権利を認めたのか。

権利は、
社会の中で人々が互いに与えるもの。
つまり、与えると決めただけ。
理由はない。



この世には、
理由が答えられないものが
たくさんあります。

それでも人々はそれを尊重します。

数学が定理だと決めてしまって
堂々としていること。

医学がいつまで経っても
病気をなくせないこと。

誰も非難しない。

希望を持って生きている。



外は有限。
けれども中は無限。
それを人は直感で知っているのです。
どこかでわかっているのです。

直感に理屈はない。

理屈は有限の世界でのみ通用するもの。
たとえば、数学も医学も、
有限の世界の学問です。


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あなたは何を追求するのか

人それぞれ、
人生で追求するものがある。

他人を害さない限り、それは自由。

ただ、追求していくうちに、
「これはちがう」と感じたら、
何歳であっても
方向転換することを恐れないでほしい。

どんなに大きな転換でも、
堂々とやってほしい。


年齢によって自分や他人を縛るのは、
人生を
時間という軸だけで見る人のすること。

死が人間の終わりだと
信じる人のすること。

老いと死を恐れる人のすること。


時間、老い、死。
どれも限られた世界を前提にした捉え方。


あなたが真に求めるものが
有限であるならしかたない。

有限と見えて、
その奥に無限を信じるなら、
あなたは軽々と限界を越えていくだろう。

そして、時期が来たら、
笑顔でこの世を去るだろう。

無限なのだから。


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義務を減らす

多くの人が、
前々からおかしいと思っていたこと。
それが、社会の情勢で変わっています。
たとえば9時に出社する義務。
ハンコをもらう義務。

それはそれでいい。

ただ、
社会が変わらないうちは
自分の行動を変えないようでは、
外からの何かに
常に縛られたままです。

ずっと。


どうしてもやりたいことがあって、
そのためには
ある義務を遂行しなければならない。
というのなら遂行しましょう。

そして、やり遂げたとき、
がんばった自分をほめましょう。

けれども、
しかたなくやっていることに
義務が付随しているなら、
そもそもその、
しかたなくやっていることを
なんとかしましょう。

あなたの力は
別のところに使えるはずです。

適材適所とは
そういうことではないでしょうか。


私はカウンセラーになりたかったので、
医学部にはいりました。
そこでの勉強は
私にとって一大義務でした。
やり遂げた私は本当にえらい。

今、医者の仕事は最低限。
もちろん、まじめに取り組んでいます。

ただ、
私の全力をそこに使うべきではないと
思っています。
たとえ社会に必要とされていても。

私の力は別のところに使ってこそ、
社会のためになると信じるからです。


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