責任は経験値を上げる機会

なんでも
引き受けてしまう人。

なんでも
人に押しつける人。

私の身近には、
どちらのタイプもいます。



引き受けてしまう人は、
「断れない。」
「自分がやらないと
誰かが困る。」
だそうです。

押しつける人は、
「やってくれるって
いうから。」
「私より上手だから。」
といいます。



どちらもおかしい。

そう思いませんか。



どちらのタイプにも、
「それ、おかしい。」
と、何度もはっきりと
伝えたのですが、
変わる気がない。



自分にとって
その状態が
心地いいから。

心地いいのは
なぜなのか。

そこが一番の問題。



ちょうどよく引き受け、
ちょうどよく
人に任せる。

そうであれば、
責任で押しつぶされる人は
出ない。

やるべきことを
やらないがために、
人生の経験値を
増やす機会を
逃す人も出ない。

社会は支え合いだけど縛り合い

毎年、夏になると思います。

日本人は、
これほどの猛暑の中でも、
いつもと同じ成果を
互いに求め合う国民だと。


暑さと冷房で
ほとんどの人がつらいのに。

夏休みがあるにはあるけれど、
ほんの数日。
しかも一斉に繰り出すから、
列車も道路も目的地も混んで、
疲れてしまう。



日頃から
効率やサービス向上を
突き詰める日本人。

努力家です。

それを夏にもやるのは
酷ではないかと
私は思うのです。



生産性を大きく落とせとは
いわない。

(暑ければ
生産性は落ちるのが自然。
それを無理して
落ちないようにしている。)

スムーズなサービスが
提供できなくても、
服装が少しルーズでも、
「いいよね」と
互いにいえる社会に
なぜなれないのか。

それは、
コロナ騒動で
マスクをするしないが
自由になっても、
はずさない人が多かったことと
同じ理由。

「人の目を気にする」
ということ。
お互いにね。




暑さで、
自分、社員、仲間、
なじみのお店の人、
いつも配達してくれる人の
体がおかしくなっても
いいのでしょうか。

がんじがらめの
「ねばならない」から
互いを解き放つ勇気が
日本人には必要。

本当は
勇気というほどのものでもない。

あっさり始めて、
それが当たり前になればいい。



サマータイム制?
クールビズ?

その程度で
終わらせないでほしい。

(余談。
カタカナ語が
かっこいいとするの
やめてほしい。

まともな日本語を
使ってほしい。)

適度なストレスと適度な奉仕

よく使われる、
ストレスということば。

ストレスは、
心身不調の原因のひとつですね。



一方でストレスは、
適度であれば
よい刺激となって、
心身の働きを活発にします。

昔、実家の近所のご主人が
定年退職し、
家にずっといるようになったら
みるみる老けたことを
思い出します。

ストレスなさすぎ
になったのでしょうね。

ストレス、
実はプラスに働きます。



それとともに、
人に役立っている
という実感も、
たいていの日本人にとって
必要な活力源でしょう。



「たいていの」
「日本人にとって」
と書いたのは、
人の役に立たずとも、
自分がよければそれでいい
という人もいるから。

また、
働くとは
奴隷のように縛られることで、
それを卒業したら
あとはひたすら
自分のために
時間とお金を使うことが
よいことだと
信じる社会もあるからです。



適度なストレス。
人のために役立っている
という感覚。

これらが、
たいていの日本人にとって
イキイキと生きるために
大切な要素だということ。

うなずいていただけると
思います。

合う合わない

馬が合う人と
合わない人がいます。

それはそれで
いいのですよね。



エネルギーの色のちがい
とでもいいましょうか。

優劣ではなく。



無理することはありません。

赤も黄色も
互いを尊重すればいい。

ほどほどに
つき合えばいい。



人気あるけど、
自分はさほど好きじゃない。

ということだって
ありますよね。

比較は不要と知る

小学校時代の担任、
A先生。

顔の輪郭が
特徴的でした。

子どもの頃から
様々いわれてきただろう
と推測できます。

性格的に少々ひねくれた
ところがあったのも、
そこからきているのではと
思います。



そのA先生に
ばったりお会いしたのは、
大人になってからのこと。

私は妹といっしょでした。

ご挨拶し、
「妹です。」
と申しますと、A先生は、
「まあ、顎がほっそりして
おきれい。」
とおっしゃいました。

ああ、そこなんだ、
と思いました。



誰かに会ったとき、
その人のどこに目がいくか。

A先生の場合は
顔の輪郭だったのです。

それほど
彼女が気にしている点
だったということです。



自分が引け目を感じ、
気にしていること。

それは常に心の表面に
居座って、
他人との比較に
つながります。

しかたないこと
なのでしょうか。

本当は、
しなくてもいいこと
ではないでしょうか。



外見について。

能力について。

育ちや学歴について。

どれもこれも、
比べたらキリがありません。

一喜一憂し、
気持ちの乱高下が起きます。



自分の本質も他人の本質も、
輝きそのものだと知れば、
比べる必要などないと
わかります。



ちなみにA先生はその後、
教育界を去ることに
なりました。

くわしくは書けませんが、
自分のすばらしさを
安定して感じることができずに、
事を起こしてしまったようです。



比較は不要です。

自分の内に輝く本質に、
立ち返ればいいのです。