自明の理

静かな樹のカウンセリングやセラピーは、
「人間の意識の根底は創造主の意識である」 という
信念の上におこなっております。

根底が創造主の意識であると知れば、
どんなときも絶対安心でいられます。



「人間の意識の根底は創造主の意識である」 ことは
どうやって証明できるのでしょうか。



できません。

それは、あなたがここに存在しているということを
証明できないのと同様に、
証明不可能なのです。

自明の理であります。



数学にも定理があります。
証明できない事柄です。

数学という学問ならばそれを受け入れるけれども、
ことそれが創造主となると受け入れ難い。

もしそうならば、それは、
創造主ということばに対する拒否反応かもしれません。

反射的に宗教を想起し、その弊害を思うからでしょうか。

科学はすっきりしていてかっこいいけれども、
それ以外は混沌としていてかっこ悪いということでしょうか。

何事も斜に構えて見るというのを
自分の立ち位置としているのでしょうか。

世論ほぼ100%でないものは、
とりあえず受け入れないでおく方が無難だからでしょうか。



「人間の意識の根底は創造主の意識」 とわかれば、
本当の自分を知る大きな手がかりが得られます。

そして、本当の自分を生きることが
人生最大の目的だとわかります。



どっしりと、
楽に、
朗らかに生きてゆけます。


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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。


未来は過去の延長線上にはない

「三つ子の魂百まで」を信じ切っている人がいます。

ことわざは、なるほどなあと思わされることが多いですが、
それで人生を全部決めてしまうのはいかがかと。



昔から言われていることがすべてならば、

「二度あることは三度ある」
「三度目の正直」

どっちを取るのでしょうね。


ことわざではありませんが、
「ひとりっ子はわがままだ」というのだって、
必ずしも全員に当てはまるわけではありません。

人への思いやりにあふれるひとりっ子を
私は何人も知っています。




「三つ子の魂百まで」を信じ切っている人は、
「未来は過去の延長線上にある」と思っています。


未来が過去の延長線上にあるとしたら、
一回罪を犯した人は、何度でも罪を犯すに決まっている
ということになりますし、
浮気した男はその後も浮気するに決まっている
という理屈になります。

いい人は、一生いい人なんでしょうか。

殺人事件の新聞記事には、
「あんなにいい人が、こんな事件を起こすとは」
という、近隣住人とやらの感想が
よく載っていますよね。




未来が過去の延長線上にあるなら、
これから努力することなんて、何の意味もありません。

それでいいのですか。

過去に未来を規定させてしまっていいのですか。





過去は、学びを得るためにあるのであって、
未来を規定するためにあるのではありません。

そして、いつも書いておりますように、
その学びは必ずプラスでなければなりません。

反面教師はプラスではありません。




プラスを学ぶ習慣をつけてほしいと思います。

やり方がよくわからないようでしたら、
どうぞ私のところへいらしてください。



それ以前に、
「私はこういう境遇を生きてきたから、今後もこうだ」
あるいは、
「あの人は昔こうだったから、今もこれからも、こうだ」
と、決めてしまうクセがあるのでしたら、
そこから変えていきませんとね。



暗い過去を引きずって未来へ向かったのでは、
生きていても楽しくありませんから。

他人が変わろうとするのに、
過去を引き合いに出して足を引っ張るのでは、
人の人生を無駄にしてしまいますから。



鮮やかに学び終えて、
輝く未来へ進んでこそ。


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被害者か加害者か


自分は被害者だと信じている人は、
さまざまな場面で被害者になろうとします。

なろうとする?

はい。
「やっぱり私は被害者」
と証明していくのです、次々と。



だいたいは、「親のせい」から始まりますが、
それに続けて
「兄弟のせい」、「配偶者のせい」、「子どものせい」にしていきます。

「友だちのせい」、「先生のせい」もあります。



そして、被害者だと信じ切っている人は、
いつの間にか加害者になります。

自分ではそのつもりがないのに。



人間を被害者と加害者にしっかり分け、
いつもその観点から人を見ているから。



本来、世の中の人間を
被害者と加害者に二分してしまうのには、
いくらなんでも無理があります。

それなのに二分している。

だから、その極端さゆえに、
自分も加害者になってしまうのです。



ちょっとわかりづらいでしょうか。



ある場面でやけにふんぞり返っていばる人が、
別の場面で驚くほど卑屈になるのと同じ、
といえば、少しはわかっていただけるでしょうか。


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「本当にしたいこと」の意味

人間は、「本当にしたいこと」をして生きていく方がいいのです。

近年、それを声に出して言う人が増えました。



食べるために働くのは終わりにしましょうね。

働くのは食べるため、食べるのは生きるため、
では、生きるのは何のため?

と聞かれて答えられないようでは、
ただ生きているということになります。



本当にしたいことを成し遂げるのは、
自分という個の生きる目的のひとつであります。

「ひとつ」と申しましたのは、
人類に共通する目的もあるからです。

個の目的や使命は、その人だけの特別なもの。

それは、自分の中からフツフツと湧いてくるもの。



では、
「オンナ遊びをしたい」、
「ギャンブルで思いっきり稼ぎたい」、
「毎日飲み暮らしたい」、
「玉の輿に乗って、着飾っていたい」
というような「したいこと」はどうでしょうか。

これらは、「したいこと」ではあるかもしれませんが、
「本当にしたいこと」ではありません。

そのちがいがはっきりわかっていないと、
「したいからしているのだ」と言って、
身を持ち崩したり、
周囲に迷惑をかけたり、
自分という人間を金に売り渡したりすることになるのです。



「本当にしたいこと」は、
もしかしたら最初は誰かの反対に合うかもしれないけれども、
最終的には世の役に立ちます。

そして、あなた自身を輝かせます。



光として生まれてきた人間は、
輝くのが使命です。


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