死ぬのは怖くない

まだ私、
死にたくはありませんが、
「死」に対して
最上級の恐怖は
ありません。

死んだら
宇宙葬が希望です。
遺灰を小さなカプセルに入れて
宇宙へ飛ばす、あれです。



「死」がこわい。
そういう人は多いと思います。

死んだら
その先どうなるのかわからない。
これが一番の原因でしょう。


・誰かに裁かれるのか
・消えて何もなくなってしまうのか



消えてなくなるのなら、
今の人生、
とにかく楽しんだ方が
絶対に得です。
いやなことなんか
全部放り投げて。

何をやっても
ゼロになるんだから。




誰かに裁かれるなら、
裁き基準を知っておかないと
不安ですね。

その基準を
人は宗教に求めるのでしょうか。




人間、
死んでもゼロにはなりません。

誰かの基準で裁かれることも
ありません。

人間はもともと
内に持っているのです。

・生きる目的
・生きる意味
・生きる基準

ただ、これらは
「内に」持っているのであって、
気づくか気づかないかは
その人の自由に
任されています。

自由ですから、
気づくチャンスを
生かす人と生かさない人がいます。

気づくチャンスを生かした人は
死ぬのが怖くなくなります。

思いっきり
人生を謳歌できます。

加えて、
最期まで生き切ろうという
意欲を持ちます。

怖いものがないのですから。



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静かな樹


どのような考えに基いて

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書いております。


毎週月曜日 朝8時
更新予定です。


常識も学び

「これ、常識でしょう」
と、自分が思うことを
人が知らないことがあります。

ということは、
その逆もあるということ。

「いい年して」
知らないことは
ゴマンとあるのです。



常識を知らず、
恥をかくことがあります。
それはそれでいい。
学べばいい。

困るのは、
常識を知らないがゆえに、
気づかないうちに
人に迷惑をかけること。



たとえば…
友人Aが
笑いながら話してくれた逸話。

Aには
大学教授の叔父さんがいるそう。
その叔父さん、
親類の法事に手ぶらできた。
香典包まず。

そして、
しっかり飲み食いして
帰っていったそうな。


「叔父さん、
結婚してないの?」
と、思わず私は聞いた。

「してる」

「ええっ!
じゃあ、奥さんも常識ないってこと?」

「そうみたい。ふふふ」



やっぱり
夫婦は似た者同士、
というオチがついて。



何度も法事に出ていれば、
いい加減気づくだろうに。
ほかの人は
手ぶらでなんかきていない
ということに。



学びましょう。
常に。
恥はいくらかいてもいいから。



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自分のせいにする人

B子さんは
友だちを誘って
旅行に行きました。

そしたら旅先で友だちが
交通事故に遭いました。

「私のせいだ。
私が誘わなければ」

本気でそういう人、
いませんか。



A子さんは
両親に大切に育てられました。

それを窮屈に感じた彼女は、
遊び人風な男と恋に落ち、
両親に大反対されたにもかかわらず
結婚しました。

しばらくすると
夫は外に女を作り、
A子さんはひとりで耐えました。
「私が
親のいうことを聞かなかったから」

といっていました。

娘がふたり生まれ、
成人しました。
ふたりとも
両親の反対を押し切って結婚し、
そして離婚しました。

A子さんは、
「私の育て方が悪かった」
といい、娘たちを支えました。



おかしいと思いませんか。

子の立場のときは、
親の反対を押し切った自分
が悪い。

親の立場になったら、
反対を押し切られた自分
が悪い。

つまり、
どんなときも自分のせい
なのです。



まさかと思うかもしれませんが、
こういう人、います。
いっぱいいます。



なんでも人のせいにするのは
よくないけれど、
なんでも自分のせいにするのも
絶対によくありません。

自分の責任の範囲を
広げすぎています。
背負いすぎです。


A子さんにそういったのですが、
「そうかもね」
というだけでした。



“責任の範囲” は
潜在意識が決めています。
そこを変えない限り、
A子さんは
どんなときも
自分のせいにするのです。



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底抜けに明るくていいのに

「しかたない」
が根底に流れる人生訓。
好きな人、多いです。

ですから売れます。

例を挙げると
差しさわりがあるので
しませんが。



恋愛でも、
「寂しそうな男がいい」
「憂いを含んだ女がいい」
という異性に対する好み。

ありますでしょう。



しかたない人生訓も
影を好む恋愛観も、
根っこには、
「人生には
悲しみ苦しみがつきものだ。
それでこそ人生だ」
という人生観がありますね。



どうでしょう。
人生を
「底抜けに明るくてよい」
と思っていますか。

「悲しみ苦しみがつきものだ」
と思っていますか。



すべてが太陽に照らされている。
そういう人生では
なぜ
いけないのでしょうか。



悲しみ苦しみがつきもの
という人生観には、
「人間は罪深い」
という前提があります。




大昔、
太平洋の常夏の島で、

底抜けに明るい信仰を持って
暮らしていた人々がいます。

自然の中に神を見て敬い、
明るい踊りで
その神を讃えていた人々。

某教の布教によって、

「人間は罪深い」と「知らされ」、
こうべを垂れて
祈るようになりました。


底抜けに明るい信仰には
論理的な教義がなかったので、
負けてしまったのです。



長くなりました。

人間は罪深くなどありません。

だから、
底抜けに明るく生きていいのです。

しかたないことはひとつもなく、
影を好む必要もありません。

すべては
明るく照らされているのですから。
ひとりひとりが
心の窓を閉ざさない限り。



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