美しい努力

「私があとちょっと
無理をすれば済む」と考えて、


人のために働く人がいます。


そういう人は、
あらゆる場面でそれをします。


犠牲的精神の持ち主。


しまいには体を壊すでしょう。


「無理がたたって」というやつです。




自分のエネルギーを
真の努力に費やしませんか。


自己犠牲なし、


悲壮感ゼロの、


明るく楽しい努力。




今の自分が出している力、
「私はこれで精いっぱいだ」
と思っている力を、


もうちょっとだけ出してみる。


それをつづけていく努力。





自分のために何かをすることが


悪だと思う人もいるけれども、


自分を活かす努力は


結局、世の中のためになる。




笑顔で努力しているのって


かっこいい。


美しい。


* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

毎週月曜日 朝8時
更新予定です。

「常識」と「許容範囲」

どこまでが常識か。

むずかしいですよね。


どこまでが許容範囲か。

むずかしいですよね。




子どもの頃、
わが家には秩序が一切なく、
常識はずれだらけでした。


私は、人様から
「常識がない」と思われるのを
恐れていました。


そして、
社会の常識を
一から十まで知ろうと必死でした。


顔はどうやって洗うのが常識なのか。


布団のたたみ方は?


顔を洗いたいといっても
洗うなとわれ、
布団をたたみたいといっても
たたむなといわれていたのです。


そんなの
勝手にやればいいことのはず。


でも、わが家では絶対に無理だった。


大元の原因は、
うちがゴミ屋敷だったこと。


タオルがどこにしまってあるのか、
教えてもらえない。


探そうとすると怒られる。


布団は、全員分が
重なるように敷いてあるので、
自分の布団だけたたもうとすると
大変なことになって、怒られる。


こういった常識はずれは、
家中に蔓延していました。


対外的なお付き合いも
非常識の極み。


その詳細は省きますが。




うちはおかしいと気づいたとき私は、
家のやり方すべてを
疑ってかかるしかありませんでした。




そうやって、
神経質なぐらい
常識を気にしつづけた私ですが、
振り返ってみると、
生き方は常識はずれそのもの。


これは、
あらゆる面で常識はずれな親のもとで
育ったからでしょう。


ということは、
あの両親でよかったのです。


何十年ものゴミ屋敷住まいと
非常識の数々は、
誰かにばれたら
街中の笑い者になっていたでしょう。

そうなるかもしれない不安を抱え、
本当に苦しかった。


それでも、
私はあの両親のもとで
育つ必要があったのです。


それがわかった今。


あとは私が
人の常識はずれを
どこまで許容できるか、です。


そもそも、常識は流動的なもの。


地域によっても
時代によってもちがう。


だから、
私が「こうだ」と思う常識を
人に対してギチギチに適応するのは
おかしい、ということになります。


そのことを
頭だけでなく
心がすんなり受け入れられれば、
常識との格闘は終わるでしょう。


それもたぶん、もうすぐ。


ただし、一線は残します。


なんでもありは、無秩序。


無秩序に平穏はない。


* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

毎週月曜日 朝8時
更新予定です。

もらう喜び あげる喜び

もらいたい、もらいたい
の人がいます。


タダなら
できるだけ多くもらいたい。
気に入らなかったときは捨てればいい。


そういう人は、
自分のお金や手間をかけたものを
他人にあげません。




あげたい一辺倒な人もいます。


お返しをもらうことを嫌い、
常に自分があげる側でいたい人。


物でも、情報でも。




あげる・もらうという行為は、
一種の「愛のキャッチボール」です。


だから本来、
もらうもよし、あげるもよしのはず。




心をこめて、あげる。


もらう側は、その気持ちをいただく。
お返ししたかったら、する。
(もちろん、目上の方との間では
この限りではありません。)




そうそう、「お返し」にもポイントが。


何かもらったら、
とにかくすぐに
同程度のものを返さないといけない
と信じている人がいます。


何がなんでもすぐにお返しをして、
差し引きゼロにしておかないと。


という、半ば強迫観念。


あげた側としては、


「義務でお返しがきた」


「かえって相手に負担をかけて終わった」


と感じます。




人生は、
いたるところで
愛のキャッチボールがおこなわれます。


野球のキャッチボールが
最初から上手な人なんていません。


愛のキャッチボールも、
だんだんうまくなっていくのですよね。


あげる気持ち・もらう気持ちを
楽しみながら。

* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

毎週月曜日 朝8時
更新予定です。