そこそこでいいと決めると

そこそこでいいと決めてしまうと、
どういう人生を送ることになるか。

きょうは、そのことについて書きたいと思います。



学生の頃、みなさんは、
テストで100点取ろうとして勉強していましたか。



100点取ろうと勉強して、取れなかったとき。
95点、悔しい。

60点でいいやと思って勉強し、64点。
まあまあかな。



最上を目指してそれがかなわず、悔しいと感じるのと、
そこそこを目指し、それをちょっと越えてまあまあかなと感じるのと。

どちらが次につながるでしょうか。



そこそこのためには、
今の自分の力の数割しか使わずに済ませます。

100点を取ろうとすると、
自分の力の限界に挑むことになります。



A: 100点を目指して95。
B: 60点を目指して64。

目標を達成したのはB。

しかし、元の目標がかなり低いので、
達成感もそこそこでしょう。

低い目標、そこそこの達成感。

これを繰り返していると、
自分の人生はその程度のものだと思うようになります。
60点や64点が自分だと。

本当は、それは自分の数割程度なのに。



限界を打ち破ったとき、
つまり、100を越えて120に達したとき、
こんどはそこが100になります。

さらに限界を越え、
100が115になったなら、そこが次の100です。

そうなると、元の100の何%増しが今の100なのでしょう。
計算してみてください。

はい、そんなにも広がるのです、自分が。



毎度60目指して64や67の結果を得ている人は、
いつまでたっても広がりません。



どっちを選ぶか。

それだけです。


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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。

平成24年9月30日 (中秋の名月)


ありがとうといえない人

※サイキック・カウンセリングの中で用いております手法を
みなさまが日常生活の中で使えるようにお伝えします。

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みなさんは、一日に何回「ありがとう」といいますか。

感謝はちゃんとことば出しています、という方に、
改めてお聞きします。

その感謝のことばとは、
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「ありがとうございました」ですか。



反射的に出るのが「ありがとう」ではない方が、
多くいらっしゃるのですよ。


「すみません」

「ごめんなさい」

「どうも」

「モゴモゴ」



なぜ、「ありがとう」といわないのですか。

ちょっとご自分で考えてみてください。



もし、「ありがとう」ではないことばで
感謝を表している自分を発見したら、

一日でいいので、
意識して「ありがとう」に言い換えてみてください。

そのときどんな心持ちがするか、感じてみてください。

落ち着きを感じるか、感じないか。
なんだか落ち着かないというのであれば、
「ありがとう」ということばに
ご自分の波長が合っていないということです。



私の身近にいます。いました。

感謝を、「どうも、どうも」でしか表せない人。

「モゴモゴ」しかいわないでおいて、
「自分の気持ち、わかってもらえない」と本気で思っている人。

いわなくてもわかるだろう、の人。( 論外。)



そして、日本の世間で一番多いのが、
「すみません」を多用する人。



「このようなことをしていただき、恐縮です。
私は、そこまでしていただく価値などありませんのに。」
のへりくだりの気持ちが、「すみません」に出ます。

へりくだるのは、大いにけっこう。
日本人の美徳のひとつです。

でも、ありとあらゆる場面でへりくだって
どうするのですか。

そんなにも自分は、ちっちゃな存在なのですか。

恐縮されると恐縮するのが日本人です。
「とーんでもござません」が行き交う会話。
日本的です。

それもそれで、社交辞令として必要な会話ですが、
これまた、ありとあらゆる機会に恐縮し合いっこして、
どうするのですか。



「私なんて」「うちなんて」という意味合いの発言をし、
相手に、「そんなことはないですよ」と返答させる。
そういう会話、よくしていませんか。

なんでいちいち、相手に否定させるのでしょうね。

肯定し合うというやり方だってあるのに。




「すみません」は、その延長線上にあります。





「どうも」や「モゴモゴ」は、これとはまた別。

変なプライドや照れから来ます。

そんなプライドや照れは、屁! です。



そうそう。
「ありがとう」をいうにはいうけど、
取ってつけたように、チラリと、
早口でいう人もいますね。

「ちゃんといったからね!」ってところでしょうか。

これも、屁!


「ありがとう」「ありがとうございます」「ありがとうございました」

日本語の中で最も美しいことばを
いわないで済ませるなんて、




人生の損失。



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平成24年9月30日 (中秋の名月)

自己評価を上げる

劣等感に大いに関係していますが、
その方が自分をどう評価しているかは肝です。

それによって、カウンセリングの進み具合がちがいます。

その方の自己評価が低いと感じた時点で上げるようにしていましたが、
どんなお悩みであれ、
まずは自己評価の程度を見ていく必要があるのではないか。

最近、そんなふうに感じています。



外見がいいとか悪いとか、
頭がいいとか悪いとか、
家柄がいいとか悪いとか。

ある能力があるとかないとか。

社交的であるとかないとか。
積極的であるとかないとか。

こういったことで自分を判断しているうちは、
いつまでたっても自己評価は上がりません。

その方の “ 個 ” としての輝き。
それが大いなる “ 全体 ” から来ていると
はっきりわかったとき、
自己評価はグングン上がり、
本当の自己肯定感が生まれるのです。

落ちこぼれだった A さんが社会的に成功する。

すばらしいことです。

A さんの体験談を読み、
「この人にもできたのだから、私にもできるかも。」
と思うのは、ある意味、いいきっかけを作ります。

ただ、このきっかけの底には、
「こんな私でも、できるかも。」
があります。

「こんな私」とは、どんな私でしょうか。

おそらく、

「落ちこぼれ」「劣等感のかたまり」「何をやってもうまくいかない」
「人から認められたことがない」「大した能力があるとも思えない」

そういう私。

こういった思いが根底にあり、
「A さん程度の人」にもできたのだから、
「こんな程度の私」でもできるかも。

そういう思いであるわけです。



そこがそもそもの始まりだと、
うまくいくことにも天井があります。

「こんな程度の私」が常について回るから。



評価すべき点がちがうのです。

外見、家柄、学歴、能力、
社交性、積極性、
今までの他人からの評価。

これらのことは一切、
評価の対象ではありません。



今、今、今。
今、自分が光であると知ること。
ここから始めるべきなのです。

そうすれば、
本当の夢も見えてきます。
自分の人生をしっかり歩む意識も生まれます。

「この程度の自分」には
「この程度の相手」がふさわしいと思っていた恋愛も、
実はちがっていたと気づきます。

多少のことにはへこたれず、
グイグイ前へ進む自分になるのです。


自己評価が人生を規定する。

そう言い切ってもいいと思います。


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平成24年9月30日 (中秋の名月)

片づけられない女 捨てられない女

「片づけられない女」ということばが世に出たのは、
どなたのお陰でしょうか。

女だけじゃなく男にもそういう人はいるはずです。
ただ、専業主婦が家の中を片づけられないと悲惨なので、
女の方が取り上げられるのでしょう。
さらに、片づけられない男にはたいてい女がついていて、
片づけてあげちゃうのであまり問題にならないのかもしれません。



今は平気で人様にいえることですが、
私の亡き母は、最上級の「片づけられない女」でした。

そして、「絶対に捨てない女」でした。

さらに、「同じものをいくつも買ってくる女」でした。

その上、「景品やおまけは必ずもらってくる女」でした。

加えて、「もらってきたもの、買ってきたものを
その辺に放り投げて、何年でも平気な女」でした。

まだいえば、
「家中をゴミ袋に詰めたものであふれさせる女」
「置き場所を決められない女」
「置き場所が決まっていても、それを守らない女」
「自分んちがきたないことは棚に上げて、
よそがきたないことを批判する女」
「人様を家に入れる代わりに、お金で解決しようとする女」
でした。

悪口に聞こえますか?
そうですねえ、そうかもしれませんねえ。

でも、単に、事実なんですよ、全部。



私は物心ついたときから母が亡くなるまで、
母が散らかしに散らかした家のことで
非常につらい思いをしてきました。

厳密にいえば、
一切手出しさせてもらえず、ひたすら我慢させられた時期と、
片づけても片づけても元の木阿弥にする母と格闘した時期
とがあります。

合わせて約40年。

しかも、母は、
立つ鳥跡を濁さずの正反対をいき、
濁しまくってあの世へ旅立っていきました。



そういう母を持ったことで、
学んだことはたくさんあります。

特に、なんでも親のせいにする方にいいたい。
人は親の影響を受けるとは限らない、と。

私、家中ピカピカとまではいかないけれども、
人様をお呼びできるぐらいには、きれいを保てます。

いや、家は人様に見せるためにあるのではありません。
そこに住む人たちが快適であることが一番。
ひとり暮らしのときは私自身が、
結婚してからは主人と私が、
快適だと感じるように家の中を整えています。





さて、なぜ今、片づけられない母のことを書いたのか。

片づけられない女で、しかも、なんとかしたいと思っている人を
なんとかしてあげたいなあと考えたからです。

テレビ番組、書籍等で、
片づけ方を伝授するものは数多くあります。

しかし、それはあくまでも、方法。

ちょっとちがうとは思いますが、たとえば、
おいしいハンバーグの作り方がいろいろ出ていても、
料理そのものが苦手な人にとってみれば、
「冷凍食品を買ってきた方がラク。」
ということになりますよね。

うちの母だって、
「これで片づけはバッチリ!」なんていう特集の雑誌を
買ってきていました。

同じ雑誌を5冊も。

そしてそれを、居間にバサッと放置していました。

笑い話ですよね。

片づけられない女というのは、そういうことをしてしまう人なのです。

方法だけをいくら提示されても、行動に移せないのです。



片づけられない原因は、ひとつではないと考えます。
でも、その原因のいくつかに対しては、
解決の道筋を作れそうな気がしています。

40年もの間、
片づけられない女の破天荒な言動を間近に見てきた私だからこそ、
できるのではないかと思っています。



今のところ、構想段階です。

そのうちモニターを募集するかもしれません。
われこそはと思う方、お待ちくださいませ。



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