強いマイナスの思いは残るというけれど

窓の外は暴風雨です。
外を歩いている方、大変。

私もこんどこそ、
先送りしていた
レインコートを
買うことにします。



そこから思ったこと。

災害に遭い、
怖い思いをし、
本当に不便な生活を送った。

そういう経験をした人で、
防災用品や食料の備蓄を
していない人が
数十%いるという統計を
読んだことがあります。

驚きです。

あり得ません。



自慢じゃないですが、
自賛します。

私は18歳で
ひとり暮らしを始めたときから、
防災用品一式を持っていました。

なぜなのかは覚えていません。

災害に遭ったことはない。
誰かに教えられたわけでもない。
でも万全だった。

さらに、
すべての家具に地震対策。

寝たときに
自分の上に落ちるものは
周囲に置かない。



「同じ経験をしても、
そこから何を得るかは
人による。」

これは、
うちの両親が、
青年期に
第二次世界大戦中の
食糧難を経験した
にもかかわらず
食べ物を粗末にする、
その姿を見て学んだことです。



災害についても同じですね。

不安や恐怖を味わったはずのに、
対策しない、備蓄しない。

そういう人たちの気持ちを
深ぼりしても意味がないので
しません。

喉元過ぎるにも程があります。



自分の身は自分で守る。

基本だと思うのですが。

* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

心を観ずるに心無し

きのう読んだ一節です。

一部かえてご紹介します。


・・・ ・・・

腹の立つ心で
腹の立つ心を治めよう
と思うから、
どうしても
腹立つ心が治められない
ということになる。

迷っている心で
迷っている心を
どうして取り消そうか
と思っても、
取り消すわけには
いかないのである。



黒板に、
「迷える心」と書いて、
その上に重ねてまた
「迷える心」と
白墨で書く。

書けば書くほど
白墨で書いた
すがた(文字)が現れる、
というのと同じことだ。



それで、
白墨で「迷いがある」
と書いたそれを、
スーッと消してしまうんです。

「心を観ずるに心無し」
というのは、
その「迷いがある」と書いた
白墨の字を
消してしまうことだ。

すると
もう何も無いのである。

「心を観ずるに心無し」
というのが、
仏教の真理の
最高のものである。

・・・ ・・・


もともと無いものと
取っ組み合っている結果が
迷いです。

怒りです。

悲しみです。

恐れです。

無いものは無いと
あっさり認めればいいのです。



そこまでは到達できない、
というなら、
信頼できる人に
1回だけ思いっきり話す。

そしてそれで終わりにする。

会う人会う人に
話そうとする人がいますが、
それはやめましょう。

無いものを
ますます強めてしまうだけ。

白墨で書いた上に
重ねてさらに
書いているのと同じ。


* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。