愛は寛容かつ峻厳である

先日、妹から電話がありました。「まじめな話。A先生のことで」と。

郷里にいた頃、私はある習い事をしていて、その師A先生とは今でもお付き合いがあります。
といっても、年賀状のやり取りぐらいで、うかがうのは数年に一度です。
かなりご高齢ですが、今も教室を続けていらっしゃいます。
ご主人を亡くしてひとり暮らし。お子さんはふたりいらっしゃいました。

そのA先生の教室に、たまたま妹の友人Bさんが習いに行っているのです。
今回、妹はBさんから頼まれたとのこと。

「東京にいるA先生の娘さんが、A先生とほぼ絶縁状態。A先生が電話しても出ない。
ついては、美紀ちゃん(=私)から娘さんに連絡してみてほしいと、A先生がおっしゃっている」
簡単に書くとこういうことです。

私は妹に、「それはできないと伝えて」と言いました。
「私が間にはいるべきではない」と。
妹にはそれが意外だったようで、
「Bさんは、『助けてあげればいいのに』と思うんじゃないかな」
と言います。

Bさんがどう思うかは、本当はあまり関係ないのですが、背景をよく知らないBさんですからしかたありません。
そもそも、A先生はなぜ、私への頼みごとをBさんと妹経由で言ってきたのでしょう。
妹も、「伝言ゲームになってしまって正確に伝わらないかもしれないのにね」と言っています。

たぶん、A先生はさびしいのだと思います。できるだけ多くの人にかまってもらいたい。
そのお気持ちはわかります。けど。

実は私、A先生の娘さんとは数十年前に一、二回会ったきりです。最後にお会いしたのは、私が高校生の頃か。
その後、話したことも手紙やメールのやり取りをしたこともありません。
数年前のA先生からの年賀状に、「娘が美紀ちゃんに会いたいと言っています」と書いてあり、お会いすることはやぶさかではなかったので、「どうぞ、私の連絡先を娘さんに知らせてください」とは申し上げました。

ところが、その話はなぜか変化していて、A先生はBさんにこうおっしゃったそうです。
「美紀ちゃんは娘と連絡を取りたいと言っていた。引っ越し先を教えるから、美紀ちゃんから電話してほしい」

Bさんは、娘さんと私が何度も会ったことのある関係だと思い込んだ可能性があります。

A先生は、今、お体が少し不自由です。去年お目にかかったとき、そのお姿に驚きました。

ひとり暮らし。ご高齢。お体が不自由。

かわいそう、でしょうか。

だから、電話も取らない娘さんに連絡してあげるべき、でしょうか。

私はそうは思いません。

全くの他人、しかも、娘さんとは数十年前に一、ニ度会ったきり。
そういう私が間にはいることが、はたしてよいことでしょうか。

「美紀ちゃんがカウンセラーだから、というのもあるんじゃないの?」
と、妹は言います。
だとしたら、なおさら介入すべきではありません。
娘さんにとって私は、母親の生徒だった人でしかありません。
その人からいきなりの電話で、「カウンセラーですので」と言われたのでは、娘さんも納得しないでしょう。

もうひとつ、私は気づいているのです。
娘さんが絶縁したくなる理由がA先生にはあると。
また、もうひとりのお子さんが結婚して近くに住んでいながら、そちらに助けを求められないのも、そちらともうまくいっていないからだと知っています。
こういった複雑な問題が生じたのは、A先生にも原因があるということが、残念ながらご本人にはわかっていないのです。

妹には背景を十分説明し、Bさんに伝えてもらう点も挙げ、その日の電話は終わりました。
そして、翌朝改めて妹にメールしたのです。次のような内容です。

「A先生のこと、ひとりぼっちになってしまって、お体も不自由で、おかわいそうだとは思う。
でもね、私はいつも思う。感情で動いてはいけないと。
特に、『かわいそう』で何かしてあげるのは、かえって相手のためにならないことが多い。

どんなにめんどくさいことでも、私がすべきことは絶対にする。
けれども、介入してはいけないこと、あるいは、人が自分で力を出す機会を奪うことは、絶対にしない。

その人が、自分にとって近しい人かどうかは関係なく」

応援することと、甘やかすことは違うのです。

 

愛は寛容。そして、愛は峻厳。

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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのか、
月に1、2回のペースで書いていきたいと思います。

端的に言えば、「人間の本質は善である」ということ、
そして、「自分を愛してこそ、人を愛せる」、「国を愛してこそ、自分を愛せる」
ということが根底にあります。

また、どんな人生にも意味と目的があるということも伝えたいと思っています。


平成23年2月3日 (旧暦 1月1日)