比較は個性の否定

「あの人はいいなあ、〇〇で。
私なんか××だから。」


と、人と比べる。


「◇◇ちゃんを見なさい。
●●ができるようになったのよ。
あなたもがんばりなさい。」


と他人を引き合いに出す。




こういうこと、していませんか。




自分の人生をあきらめるためであれ、


相手に奮起してほしいからであれ、


人との比較は


絶対に


絶対に


してはいけないことです。




自分を人と比較したそのとき、


自分の個性を否定しています。


Aさんに向かって
Bさんを見習えと言ったならば、


Aさんの個性を否定しています。




個性の否定は、
その人そのものの否定です。


「まさかそこまで…。」


いえ、それぐらい
重大なことなのです。



今までそういうことを
してきたならば、


今この瞬間、
こう決心してください。


「私は、
自分の、人の、個性を尊重する。」と。




ここで注意していただきたいのは、
「人の個性を否定しない」
という文ではないということ。


「何々をしない」という決意は
ほぼ結果を出しません。


かえって
自分の心に「何々」を
印象づけてしまうからです。


「私は、
自分の、人の、個性を尊重する。」


どうぞ、声に出して
繰り返し言ってみてください。


* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

毎週月曜日 朝8時
更新予定です。

「医者」も「治療法」も、治してはいない。

病気を治すのは医者じゃない。


人間の自然治癒力が治すのだ。


はい、そのとおりですね。


では、自然治癒力は
いつから備わったのでしょうか。


もともと持っている。


もともととはなんでしょう。


遺伝子?


最初の遺伝子は
どこから来たのでしょう。


どうして
健康に戻そうという働きが
あるのでしょう。







ということで、
自然治癒力は不思議です。


ただ、
あとから作ったものではない
ことははっきりしています。


信頼に値する力です。


あとから作ったものを
否定はしません。


そういうものに
全面的に頼るのは
不自然だということ。


それを理解した上で、
どうぞ活用してください。


* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

毎週月曜日 朝8時
更新予定です。

体と心の感覚を鈍らせないで

肩こりのある人は多いですね。


その肩こりを
自分では感じない人がいます。


首から両肩にかけての線が
山のようにぽっこり膨らんで、
押すとガチガチなのに、
本人はこっていると感じていない。


体の感覚が鈍ってしまったわけです。




心の感覚の場合。


小さい頃、
親からさんざん言われて
いやだったこと。


たとえば、
「勉強しなさい。」
「何度いったらわかるの。」
「はやくしなさい。」


それを
そっくりそのまま
自分の子どもにいっている人。


大人になって、
子どもの頃の心の感覚が
鈍ったのですね。




体の感覚も心の感覚も、
鈍らせてしまったら、
それはどんどん加速します。


ですから、
あ、鈍ったなと感じたとき、
元はどうだったかを思い返して、
その感覚に立ち戻れるよう
できる範囲のことをしましょう。




もちろん、
体は時間の経過とともに
新陳代謝が遅くなります。
老化と呼ばれるものです。


それは、
三次元にある肉体が通る道。


ある程度は、
避けて通ることはできません。


それでも、
鈍らせてしまってはいけない感覚
というものが、
体にも心にもありますよね。


そこを区別して、
どうぞ、精進してください。


* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

毎週月曜日 朝8時
更新予定です。

人にどう思われるか → かえって迷惑をかける場合

他人からどう思われるかを
気にする人がいます。


そうなったのには
それなりの理由がある、
というのはわかります。


ただ、
この傾向が行き過ぎると
人に迷惑をかける場合がある、
という例を紹介します。




他人からどう思われるか
を気にする人は、
「何やってるんだ、この人?!」
と思われることを極端に恐れます。


「はぁぁ?」と思われないよう、
最新の注意を払い、
人の顔色をうかがいます。


そして、その先には。


驚くなかれ、
「親切な相手から、黙って逃げる」
というパターンがあるのです。




親切な相手が自分にしてくれること。
その中には、
「断りたいな」と思うことも含まれます。


当然です。
全部が全部、
自分にとってありがたいこと
とは限らない。


だったら、
ことばを選んで伝えればいいはず。
「せっかくですが、
△△はご遠慮します。」と。


ところが、
他人にどう思われるかを気にする人は、
そんなこといって、
「はぁぁ?
私が親切でやっているのに。」
と思われることが怖い。


だから、何をしてもらっても、
反射的に笑顔で、
「ありがとうございます。」
と、受け入れてしまう。


これを繰り返します。


すると、だんだん、
親切な相手のことが負担になり、


ついに!


黙って逃げる。
その人との関係を捨てて。


残された親切な人は、
驚くとともに怒るでしょう。


なんの釈明もなしに、
自分がしてきたことを
放り投げられたのですから。


その中には、
まだ途中だったこともあるでしょう。


自分が仲介した別の人が、
関係している場合もあるでしょう。


経済的な損失を
被る人もいるかもしれない。


すると、親切な人は、
自分のせいでもないのに
お詫びしなければならなくなります。


恩を仇で返すとは
このことですね。




人が自分をどう思うか。
そればかり気にしていると、
のびのび生きられない。


ということは、
誰でもわかりますね。


実はそれどころか、
「人に多大なる迷惑をかける」
その結果、
「自分に対する評価が大きく下がる」
ことがあるのです。


自分の評価が下がるのは、
最も恐れていたことのはずなのに。




逃げてしまえば、
低い評価も感じずに済む。


本当に
それで済むのでしょうか。




人間はみんな、
奥底でつながっています。


ですから、
自分がしたことは
いつか自分に返ってきます。
良いことも悪いことも。



そもそも、
社会人として当然のことですよね。


自分の行動に
自分で責任を取るというのは。

* * * * *

メンタルコンサルテーション
静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

毎週月曜日 朝8時
更新予定です。