やりたいことをして生きるには

やりたいことをやるには、
それが何なのか
わかっていること。

当然の前提です。

その上で、
やりたいことに焦点を当てる。

そうですね。

そして
そこにエネルギーを注ぐ。

もちろんですね。


さらに、
ほかのことに
エネルギーを削がれないよう
やらなくていいことを
省いていく。

あるいは
人にやってもらう。

こうすることで、
やりたいことに
集中できます。



それでいいのですが、
ひとつ大切なことがあります。

やらなくていいことを
どうやって判断するかです。

仕事上のことなら、
お金を払って
人にやってもらえます。

家庭内のことでも、
お金を払って
やってもらえることが
多くあります。



思うに、
絶対に人任せにしては
いけないことは、
「愛」に関すること
ではないかと。

「愛」に関する、
とても肝心な部分、
そこはできる限り
自分ですべきだと。



ここでその例を
書いてみたのですが、
消しました。

そもそも
「愛」がわかっていないと
始まらない。

そう思ったからです。

お金を出すことで
愛情表現しているつもり
の人もいますから。


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毎週月曜日 朝8時
更新予定です。

自分に合う生き方

引き算だろうが、
足し算だろうが。

自分に合う生き方をすればいい。

そう思っています。


十代の頃は、
できないことを
できるようにするのが
大事だと信じていました。

だから部活は、
できないものを選ぶ。

そんなまさか!ですが、
そうだったのです。


大変だったなあ私、と思います。

でも、あれもまた人生経験。


さて今は。

仕事のしかたにしろ、
人間関係にしろ、
どういう形が
自分にとって心地いいか、
を常に考えています。

心地いいということは、
無理せずつづけられる
ということです。

もちろん多少は
気が進まないこともやります。
責任は果たします。



自分が心地よくあって、
気負わずにいられいれば、
関係者も周囲の人たちも、
楽なはずです。

悲壮感あふれるがんばりは、
見ている方がつらいですよね。

「私、がんばってます」と
アピールをする人もいますが、
それはちょっと、ね。



働き方、生き方、
人間関係の維持のしかた。

どれも
ほかの人と同じである必要は
さらさらないのです。

お手本も必要ない。


「私」が心地よいこと。

「私」が明るくいられること。


それが
周囲に波及したとき、
どうなるでしょう。

想像してみてください。


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雑草の

うちのマンションの北側、
駐車スペースの向こうは
斜面になっています。

その斜面の上に
木々が植えてあります。
(そのうちの2本と友だちです。)

斜面はコンクリートで
固められていますが、
木々のあるところは土。

そこから生えたツタ状の植物が、
斜面をどんどん下りてきます。

マンションのみなさんは、
これを嫌います。

雑草だからです。

お掃除のおばさんが
むしってくれるのですが、
いたちごっこです。



今朝、そのツタたちが
朝日を受け、風を受けて、

葉を輝かせ、

影をまとい、

それはそれは美しい
動きを見せてくれました。

緑の波でした。



雑草と栽培種のちがいは
なんでしょう。

栽培種は、
人が自分たちの好みに仕上げ、
手元に置いて鑑賞するための植物。


そして、
人の望まないところに生え、
手を加えずとも育つ、
そういう植物を雑草と呼びます。



雑草たちは、
元気に生きているだけなのに。



もちろん私だって、
草ボウボウがいいとは思いません。

ただ、
雑草たちの中にも「美」がある
ということに
目を留めてほしいのです。


何度 思い返してもうっとりする、
朝の太陽とツタたちの共演でした。


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人は個性を持って生まれてくる

生まれたときから、
人の行動の傾向は異なります。

元気に動く子。
おとなしい子。


親が同じように育てても、
兄弟は同じ性格にはなりません。

「遺伝だ」といわれる場合もあれば、
「誰に似たのかしら」と
いわれる場合もあります。



いずれにしても、
個性はすべて善です。

その視点で見ていかないと、
大切な個性を
委縮させることになります。



私は幼い頃、
ミルクが欲しいとなったら
もらえるまで、
「ミルク」「ミルク」と
いいつづけたそうです。

それを母は、
「自分は忙しいのに、
頑固で困った子」
ととらえていました。


これは母の都合、母の視点です。


一度こうと決めたら
集中して行動する。

そういう
すばらしい個性だったはずです。



幸いこの個性は、
母の不満をものともせず
貫かれました。

よくやった、私。



個性は善です。

団体になじんで行動できることが
最善とは限りません。


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