時期か個性か

困ったちゃんのAさんが
いたとします。

誰から見ても、
この人の行動が
人を傷つけている。
あるいは
人に迷惑をかけている。

そして、
そのことをAさんに
何度いっても、
ちっとも改める気がない。

それはAさんにとって
時期ではないのです。



時期は来ます。
本人が気づく時期が。

こちらはそれを
待つしかないのです。



困ったちゃんBさん。

この人に
行動を改めさせようと思って
何度もいったけど、
改めようとしない。

というとき。

考えてみてください。
Bさんの行動は
社会の常識から
はみ出ているかもしれないけれど、
それは
Bさんの個性かもしれません。



Bさんの行動は
人を傷つけていますか。
あるいは反社会的ですか。

そうでないなら、
無理に改めさせる必要は
ありません。

むしろ、
なんらかの形で
伸ばしてあげるべきもの
だとしたら。

Bさんの場合は、
改めさせることが
可能性をつぶしてしまうこと
になりかねないのです。


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生きる基準

よその国の社会保障制度や法律。
そういうものを紹介して、
日本のそれと比較する場合。

その国の国民の大半が
何を基準に生きているのか
への理解が抜けていると、
まったくもって比較になりません。

たとえば、
日本では
政教分離だから、
「神」ということばを
政治の場面で持ち出すことは
極端に嫌われます。
話題にすらしてはいけない雰囲気。

片や、国民の大半が
キリスト教信者である国では、
裁判で証言する人が、
聖書に手をのせて宣誓する。
映画でよく見る光景です。

キリスト教の精神が根底にあって
その上で成り立っている法律と、
そうでない日本の法律を
単純に比較できるわけはなく。



社会保障制度にしても、
国民の心のよりどころが
どこにあるのか。

それがちがえば、
制度もおのずとちがってくるはず。



そうそう、教育においても。
自主性を重んじるのは
確かによいことです。
しかし、
善悪の判断基準も教えずに
「なんでも自分で考えろ」では、
あまりに無謀。

宗教心なり道徳心なりを
しっかり身につけた上での
自主性でなければ。

自分で考えた結果、
「社会の役に立たない人間は
殺してもよい」
という結論に至り、
殺人を犯す人や、
「有能な人間のみが
生きる価値がある。
自分は無能だから
死んでしまおう」
という考えを持ち、
実行する人が出ても
おかしくありません。

本人にしてみれば、
生きる基準なく
世の中に放り出され、
必死に考えた結果
やっとたどり着いた結論なのです。

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「先を考える」の意味

先を考えて
今、行動する。

老後に備えて
貯金するとか、運動するとか。
これらは先を考えた行動です。

この場合、「先」は時間。



「先」には別の意味もあります。
空間的な先です。

自分が住んでいる自治体の
ルールに沿ってゴミを分別する。

たとえばこういったこと。

山中の不法投棄などは、
先を考えていない行動の最たるもの。

自分の目の前から消えてしまえば、
あとは知らないという態度。

地球の誰かに、何かに、
どんな影響を及ぼすか、
空間的な先を考えていません。



自分の快適範囲さえ守らればいい。

自己中心的以外の何ものでもありません。

そういう人が、
たとえ時間的な先は気にしていても、
空間的な先に悪影響を及ぼしていますから、
よい未来はやってきません。

貯蓄だ、運動だ、栄養のバランスだ
と必死にがんばっても、
穏やかな老後など、ない。
という例がわかりやすいでしょうか。


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