生きる基準
2018年11月19日
よその国の社会保障制度や法律。
そういうものを紹介して、
日本のそれと比較する場合。
その国の国民の大半が
何を基準に生きているのか
への理解が抜けていると、
まったくもって比較になりません。
たとえば、
日本では
政教分離だから、
「神」ということばを
政治の場面で持ち出すことは
極端に嫌われます。
話題にすらしてはいけない雰囲気。
片や、国民の大半が
キリスト教信者である国では、
裁判で証言する人が、
聖書に手をのせて宣誓する。
映画でよく見る光景です。
キリスト教の精神が根底にあって
その上で成り立っている法律と、
そうでない日本の法律を
単純に比較できるわけはなく。
社会保障制度にしても、
国民の心のよりどころが
どこにあるのか。
それがちがえば、
制度もおのずとちがってくるはず。
そうそう、教育においても。
自主性を重んじるのは
確かによいことです。
しかし、
善悪の判断基準も教えずに
「なんでも自分で考えろ」では、
あまりに無謀。
宗教心なり道徳心なりを
しっかり身につけた上での
自主性でなければ。
自分で考えた結果、
「社会の役に立たない人間は
殺してもよい」
という結論に至り、
殺人を犯す人や、
「有能な人間のみが
生きる価値がある。
自分は無能だから
死んでしまおう」
という考えを持ち、
実行する人が出ても
おかしくありません。
本人にしてみれば、
生きる基準なく
世の中に放り出され、
必死に考えた結果
やっとたどり着いた結論なのです。
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静かな樹
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