「お天道様が見ている」は正しい

お天道様。

おてんとさまと読みますね。

 

私が子供の頃はもう言われなくなっていましたが、

悪いことをすると、

「お天道様が見ているよ」

と戒めた時代がありました。

 

天の道と書いて、お天道様。

太陽そのものを指すのかというと、そうでもないように思います。

上から、余すことなく見ている峻厳なる存在。

そのような意味でしょうか。

 

お天道様と人間の間には、

洗礼のように目に見える契約もないし、

聖書やコーランのような教えの書もない。

 

そうそう。

神道には教えの書物がないということ、お気づきですか。

 

自然そのものに教わり、

自然を敬い、自然と共存するのが、

日本人の信仰心の一部なのではないかと思います。

 

一部だと申しますのは、

そのほかに、先祖をお祀りすることなども

日本人にとっては大切な信仰だからです。

 

「お天道様が見ているって言ったって、

悪党はのさばるばかりじゃないか」

と言う人がいるかもしれません。

 

お天道様は、罰を与えたりはしないのです。

お天道様は、「愛」と「法則」なのです。

それこそが、「天の道」。

 

「誰も見ていなから」と悪事を働いて逃げおおせたとて、

いずれ法則が自分を裁きます。

誰も気づかないところで善行を行ったのなら、

のちのち大きな愛となって返ってきます。

 

「お天道様が見ている」というのは、

この世には常に愛と法則が働いているということを

わかりやすく言い換えたものだと私は思うのです。

 

上の方にいると思っていたお天道様。

実は自分の中に在るのです。

愛と法則として。

 

だから、晴れていようが曇っていようが、真っ暗な夜だろうが、

「お天道様は見ている」わけです。

逃れようがない。

逆に言えば、愛と法則に則った生き方をしていれば、

「お天道様が見ていてくれる」ということです。

 

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毎週月曜日 朝7時、更新予定です。乞うご期待。

平成24年9月30日 (中秋の名月)

 

「うらやましい」

A さんが、a という才能を持っていたとする。

そしてその才能を持っていることに気づいていないとする。

B さんがいる。

B さんは、比較的早く b という才能を開花させた人。

 

いきいきと活躍する B さん。

その姿を見て A さんは、

「うらやましい」と思うかもしれない。

 

もし A さんがそう思うなら、A さんの隠れた才能が開花することはないだろう。

ないとまではいかなくても、開花はさらに遅くなるだろう。

 

なぜならば、「うらやましい」というのは一種のねたみであり、

負の感情であるからだ。

負の感情は、自分の足を引っ張るものだ。

 

A さんが「うらやましい」と思うのは、

自分には才能がないと思い込んでいるからだ。

才能がない自分を劣っていると感じるからだ。

 

そう、この、「劣っている」という感じ、

これこそが、才能開花の妨げになる。

 

「うらやましい」というねたみ、

「劣っている」という自分へのレッテル貼り、

これらの感情が軽くなればなるほど、

A さんは自分の人生を生きられるようになる。

そしてA さんは、自分の中に驚くような才能を発見する。

a という才能を。

 

B さんが b の才能を開花させていることを

心から喜べるようになったとき、

A さんは、a の才能のスイッチをひとつ押したことになるのだ。

 

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怒りの正体

怒りの正体が、悲しみであることがある。

「であることがある」のであって、怒りイコール悲しみではないが。

 

泣き叫びたいほどの悲しみが、

実際に泣き叫ぶことができないために怒りとなって現れる。

泣き叫ぶことができないのは、

次のような思い込みを持っているとき。

「泣いてはいけない」

「泣いても誰もわかってくれない」

「男は泣くもんじゃない」

「大人は泣くもんじゃない」

 

怒りの正体が悲しみであると知って、

しっかりそれを解放しないと、

怒りはいろんな場面で出てくる。

はっきり言って、怒るきっかけはなんでもいいのだ。

その人は怒りたいのだ。

悲しい、悲しいと、心が絶叫しているから。

 

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自殺はなぜいけないか

もう少ししたら、

自分が魔法使いであることを公表しようと思うので、

その前振りを少しずつ。

 

自殺はなぜいけないか。

 

それは、人間が、神の全能と個性の噴出口であるから。

全能と個性を内包した人間は、

それを認識し、

それを噴出させ、

キャンバスの上に絵を描くように

それを表現するのが使命だから。

 

自殺は、その機会を自ら奪うもの。

だからしてはいけないのである。

また、全能と個性を内包している人間は、

実はやろうと思えばなんだってできるのであり、

ひとりひとりに大きな価値があるのであり、

悪人も真の悪人ではないとわかるから。

 

このことを伝えることができれば、

自殺する人は減るはずなのだ。

 

以前ネットで見たのだが、

「小・中・高校の教諭の67%が自殺予防教育の必要性を感じているものの、実施には全体の85%が『困難がある』と考えていることが、兵庫教育大の新井肇教授らのチームの調査で分かった」

のだそうである。

その理由はいくつか挙げてあったが、

人間の尊厳と、各人が非常に重要な存在であるということを

大人が子供に伝えることができない、というところが

根本の問題だと私は思う。

 

「ひとりひとりが大切な存在なのですよ」

「命は尊いのですよ」

と言ったとて、

「それはなぜですか」

と聞かれて理由を答えられないのでは、

誰も納得するはずがない。

 

そう。

大人ですら、そういったことを知らずに大人になったのだから、

無理もないことではあるのだが。

 

そして、宗教教育はさておくとしても、

倫理教育がスッポリ抜けている学校教育では、

教えられることに限界があるのである。

 

もちろん、しつけから何から学校に任せっきりの親も、どうかとは思う。

しつけのできない親を作ったのは誰だ。

その人をしつけなかった、親と周囲の大人だ。

 

大人が子供を自信を持って導けないとは、

なんとも情けない話ではないか。

 

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