「はしたない」は死語?

東京近郊の電車の大半は、
縦に座席が配してあります。

ですから、
前に座っている人の行動が
丸見えです。


近頃増えているのが、
足を開いて座る女性の姿です。

短いスカートでも
足を開いています。
一番奥が見えなければ
いいということでしょうか。



「はしたない」です。

いや、
そんなこといったら、
「女性差別だ」
と返されるかもしれません。

男性だって、
前に立つ人の
邪魔になるほど、
ズルズルと浅く座って
足を開いていたら、
「はしたない」と、
私は思います。

人様に迷惑かけている
という点においては、
女性の足開き座りも
男性のズルズル座りも
同じだからです。

女性の足開きは、
目のやり場に困ることが
ありますから迷惑です。



自分の家で
足を開いて座ろうが
ズルズルしようが勝手。

しかし、
互いに思いやりをもって
暮らすべき社会では、
自分の楽さを優先するのは
「はしたない」。


つづく。

気づきは思考順序を超える

そうか!
と、ひらめくとき、
ありませんか。

その気づきが、
順を追って考えていた
こととは
大きく方向性がちがい、
驚いたということ、
ありませんか。



ある問題に取り組み、
もんもんと考えて
頭から離れないとき。

いったん
思考を脇に置き、
静かで明るい心を
見つめる。

そういう時間を
毎日持つようにすると、
そうか!
がやってきます。

どんな思考をもっても
たどり着けなかった
であろう活路が
開けます。



長時間もんもんとするより
こういう時間を取る方が、
はるかに建設的。

5分で十分。

肝心なのは、
静かで
明るい心
という点。

それが
あなたの本質ですから。

脳という付属物に
考えさせるより、
本質に尋ねた方が、
的確で前向きな
答えをくれます。

禁止ではなく方向転換

「〇〇してはいけない」
という禁止は、
効果が薄いです。

長続きしないから。

ラーメン好きな人が、
「ラーメンを
食べてはいけない」
と自分に言い聞かせたとき、
頭に浮かぶのは

ラーメン。

味が舌によみがえります。

この状態で
食べずにいられる人は、
そうそういません。



ラーメンを
食べないようにしたいなら、
ラーメンに代わるものを
持ってくる。

たとえば…
スムージーとか。
(一例です。
私はスムージーを
飲んだことがありません。)

材料をどう組み合わせたら、
おいしいスムージーが
作れるか。

そういったことに
意識を集中させて
取り組んでみる。

ラーメンは脇に置いて。



禁止ではなく、
方向転換です。

脳の。



好きなものを禁止しても、
脳は納得しません。

いつの間にか
(ここが肝心。)
脳の中で、
スムージーが
ラーメンを超えるように
すればいいのです。

宗教とは

ついさっき
読んだ文章です。

「生老病死の
四つの問題を
解決するのが
宗教であります。」



付け加えます。

上記の問題を
「解決する!」と
うたっていても、

「うちの宗教を
信じない人、
あるいは
入信したのにやめる人は、
不幸になる。
地獄に落ちる。」
と脅すのは、
真の宗教とはいえません。

もちろん、
やたらと
お金を要求するのも
正しい宗教のあり方
ではありません。