感謝は「存在してくれたこと」に
2016年9月26日
たとえば、
雑貨屋さんにはいったとき、
「ごめんください」といいます、私。
店内を見てまわり、
買いたいものがなかったら、
「ありがとうございました」
といって出ます、私。
そのとき、
店員さんが返事をしないことがあります。
私が何も買わなかったから、ですね。
子どもに、
「何かしてもらったら、
『ありがとう』といいなさい」
と教えますね。
では、してもらえなかったときは?
先日、年配の男性から道を聞かれ、
「ちょっとわかりません。
私、この土地の人間じゃないので」
と答えたら、
「ああ、そう」
といわれて終わりました。
たとえば、
子どもの頃に両親が亡くなって、
苦労した人がいたとします。
その人は、
親を恨みこそすれ、
感謝する必要はない、
のでしょうか。
この世は
魂にとっての経験の場。
両親は
そこに生み出してくれた人たち。
両親の存在があったから
私たちはこの世に出て
経験を積むことができるのです。
自分がしてほしいことを
してくれたからありがたい。
してほしいことをしてくれなかったら、
感謝する必要もない。
という考え方はまちがっています。
その人が存在してくれたことが
ありがたいのです。
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「静かな樹」は、
カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。
どのような考え方に基いて
カウンセリングを行っているのかを
書いていきたいと思います。
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