愛の受け取り方を知らない人
2015年2月22日
愛の受け取り方を知らない人がいます。
愛の出し方を知らない人がいます。
受け取り方を知らない人が、
出し方を知らない人であることが多いのは
当然のことです。
“ 愛のキャッチボール ” の方法を
子どもの頃に学べなかったからです。
そして、これまた当然、
そういう人は、同じような人と惹かれ合います。
同類だからです。
そうやってくっついた人たちは、
「愛してもらえない」 と互いに思い、
傷つけ合って生きていきます。
人から愛されたいと思ったら、
まず自分から愛することです。
それだけでなく、
人が向けてくれる愛を拒まずに受け取ること。
やり方がわからなかったら、学ぼうとすること。
子どもの頃教えてもらえなかったと言って、
誰かを恨まないこと。
そういう養育環境は、
実は自分にとって必要だったと理解すること。
気づいたときから学べばいいのだと知ること。
これらすべての大前提として、
自分の中にも、相手の中にも、
愛はあふれるほどにあると
確信を持つこと。
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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。
どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを
書いていきたいと思います。
毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。
人間は愛を本質とする霊的実在である
2015年2月16日
争いや憎みによって何かを獲得した悦びは
必ず後味が悪いものであって、
その悦びは、愛によって何ものかを与え去った悦びの深さには及ばない。
奪った悦びは魂を傷つけ、
与えるために失った悦びは魂を高めるのである。
人間が単なる 「肉体」 と云う物質的存在ならば、
物質が増加したときにのみ悦びを感じ、
物質が減ったときには必ず悲しみや不快を感じなければならないのに、
人間が、“ 愛 ” によって誰かに与えることによって物質を失っても
却って悦びを感じ幸福感が得られるのは、
人間が決して単なる物質的存在ではない証拠である。
若し ( もし ) 私たちが純粋に “ 愛 ” のゆえに、
「愛する行為」 をし、
その結果、肉体が傷ついても、物質を失っても私たちは決して、
「愛する行為」 をしたことを
後悔することはないにちがいないのである。
これは人間の本体が決して 「肉体」 でも 「物質」 でもなく
「愛」 を本質とする霊的実在である証拠である。
( 谷口雅春 「新版 真理」 第10巻より )
たとえば、食欲を満たすことは肉体を悦ばせること。
もし、人間が肉体だけの存在だったら、
そちらが優先されるはず。
ところがそうではなく、
母親は、自分が飢えても子どもに食べ物を分け与える。
いやいや、子どもが飢え死にするとわかっていて
放置する母親がいるではないか。
という意見もあるだろう。
そう、確かにそういう母親はいる。
そして、それもまた、
人間が、肉体に属する本能だけで動いているのではないことの
証拠ではないだろうか。
種族を残すという本能によって子育てしているのなら、
放置せずに育てるのだ。
子どもを放置して餓死させる母親は、
愛の出し方を知らないのである。
愛が人間の本質。
真の悦びと、真の向上心を伴って。
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途中経過を楽しんで
2015年2月7日
人生においては、
それぞれがそれぞれに達成すべきことがあり、
それが何であるかを知ってまい進することは
とても大切なことです。
とはいえ、
結果主義になってはいませんか。
目標を高く掲げるのはいいことだけれども、
そこになかなか達しない自分を責めてはいませんか。
途中経過を楽しもうではありませんか。
山あり谷あり。
景色も変わる。
ときには風も吹き、
雨だって降る。
そういうもろもろを楽しめる人は、
あせることも、
自分を責めることもないでしょう。
もちろん、その前提として、
絶対そこに行き着くのだという信念と、
自分自身に対する信頼が必要ですが。
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人間の本質は神の意識
2015年2月2日
人から受け入れられやすい考え方があります。
肉体に魂が宿るとか。
( そもそも、魂を信じない人もいますが。)
人間は健康にも病気にもなるとか。
善も悪も存在するとか。
こういった考え方から出発する話は、
とてもわかりやすいのです。
肉体に魂が宿るのだとすると、
肉体から抜けた魂はどこへ行くのか、
という議論になる。
人間が健康にも病気にもなれるとすると、
病気になることが怖いから、
そうならないためには、という考えになる。
善も悪も存在するとすると、
悪いことをした人が、
善人になれるかどうかという視点が出てくる。
人間の本質は神の意識です。
上に挙げたどの考えも、出発点がちがっています。
神の意識が
個性を持って出てきたのが人間です。
その出発点からいけば、
人生を見る目が変わってくるはずです。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)