人はなぜ健康でいたいのか

「まあ、病気のひとつぐらい、
持っていてもいいさ」

「無病息災ではなく、一病息災だ。
その方が、常に体を気づかっていられる」

という人がいます。

さて、その人は、
本当に病気でいたいのでしょうか。



否。


そういうことをいう人も、
本心では、健康でいたいのです。

病気なんかしたくないのです。

ただ、完璧な健康でいることが難しいと
感じているために、
上に書いたようなことをいって、
自分を納得させようとしているのです。






そもそも人はなぜ、
健康でいたいのでしょうか。

病気を治したいのでしょうか。



それは、
人間は本来健康だからです。

それに尽きます。


ただし、「人間本来健康」 というのは、
「その人間が、この世に生まれたときは健康だった」
という意味ではありません。

三次元のこの世界に登場するとき、
健康体でない人もいますよね。



「人間本来健康」 の 「本来」 は、
三次元世界に登場するしないにかかわらず、
その人の本体であるもの、
それが健康だということです。




人が健康でありたいと願うのは、
「本来の姿」 に戻りたいからです。

もっと正確に申しますと、
「本来の姿」 にできるだけ忠実な姿を
この三次元世界に現したいからです。

現して、それを喜び、それを楽しみたいのです。



人間は、「自分は本来は健康だ」 と
どこかで知っているので、
健康を現したい、現したいという欲求が起きるのです。

その 「どこか」 を、潜在意識と呼びます。





では、生まれつき健康体でなく、
何らかの障害を持つ人はどうなのか。

人がそういう体で生まれてくることには
大きな意味があります。

それについては、
いつか機会がありましたら
書きたいと思います。


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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。


上も下もない

世の中に、
何かが「できる」人と「できない」人がいるのは当たり前。

そうであるけれども、
それで上だ下だが決まるわけではない。



だから、いばるのはまちがっている。

卑屈になるのもまちがっている。




そしてさらに、
上も下もないからといって、
誰かを引きずり降ろそうとする態度は
まちがっている。

それは、自分をその人よりも下だと思っている証だ。

上も下も「ない」といいながら、
実は「ある」と思っている。





社会的地位というものは、
人間が社会を形成したから生じたもの。

これに縛られる必要はない。

けれども、
その人本来の人間性の高さ、魂の高さというものは
敬意を表すべきものだ。

いや、
それは自然に感じられるので、
敬意を表すべきどころか
自ずと敬いたくなるはずである。



徳の高さと言い換えることもできるもの。

さらには、人徳を越えたもの。



それすらも引きずり降ろそうとする人がいる。

その人は結局、上だ下だに縛られている。


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心広く、でも迎合はせず

その国にはその国の文化があります。

守るべきしきたりや、常識があります。



たとえば、
日本の民家では、家にはいるとき、
ほぼ100%靴を脱ぎます。

それを、
靴を脱がない外国人のために、
「そのままでどうぞ」 というでしょうか。




東京オリンピックに向けて、
各方面で準備が進められています。

そんな中、
浴場等でタトゥを許すか許さないか
という論議になっているようです。



日本では、刺青はかたぎでない人のものでした。

すでに刺青という日本語があるのに、
タトゥなどというカタカナことばを取り入れたから、
話がややこしくなっているのだと思います。

いえ、ちっともややこしくありませんね。

タトゥを刺青とまっとうに訳せばいいんです。

それだけです。

そうすれば、
浴場で可か不可かの論議をするまでもなくなります。

さらには、
日本の若者が安易に刺青をいれることも減るでしょう。



お客さんだから何をしてもいい、
というわけではないのは、
どの国でだって同じこと。

日本だけが、
外国人に媚びへつらう必要は
さらさらありません。



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そろそろ?


1年半ほど前に、
初めてサイキック・カウンセリングをお受けになった方。

数ヵ月おきに受けていらっしゃいました。



年明けからパタリと音信がなくなったので、
どうなさっているだろうと気になって。

でも、こちらからは敢えて連絡いたしません。

おひとりおひとりに、都合というものがあるから。

また、おひとりおひとりに時期というものがあるから。



そして先日。
予約のお申し込みがありました。

お話をうかがいますと、
「そろそろ何とかしなくてはならないと思った」
と、おっしゃいます。



私は聞き返しました。
「そろそろ、ですか?」



1年半前も前から
何とかしたいと思っていたのではないのでしょうか。

「背水の陣を敷かないのですか?」



ご自分が何気なくいった 「そろそろ」 に、
はっとした Y さんでした。



確かに、それぞれの方に時期があります。

しかし、お金をかけてカウンセリングを受けにいらして、
それが背水の陣でなかったら、どうするのでしょう。

ちょっともったいないですよね。

お金もだけれども、
チャンスを活かし切らないことが、です。



変わる時期だと感じたら、
何がなんでも変わる。

そう決めることで、
変化は確かに訪れるのです。


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人間性を語ろうじゃないか

身内の某女は、
どなたかのことを話すとき、決まって、

「あの人はスラッとしている」

「あの人は背が低い」

「あの人は小錦に似ている」

と、外見をいうのでした。



さらには、
「あの人は、家族4人、
6畳一間のアパートで住んでいた」

「あの人は、いなかの農家の生まれ」

と、生まれ育ちについても必ず触れるのでした。



まるで、外見と育ちがすべてを決定するかのように。

人には格付けがあるかのように。



私はそういう某女に何度も抗議したのですが、
何がいけないのか、わからないようでした。

いや、わかるつもりがなかった。



外見と育ちで人生が決まるのなら、
世の中には運のいい人と悪い人がいることになります。

それじゃあ、その運のまま、
一生を生きていくのでしょうか。



某女は、見かけも育ちもそれなりによかったので、
チヤホヤされ過ぎたのかもしれません。

いえいえ、お釈迦様は、
とてもいい家に生まれたにもかかわらず、
人生の苦しみについて思いをいたし、
考え抜いて悟りを開いたのです。

経験していないからわからない、
という理屈は通りません。


某女は人間性に重きを置いていなかったのです。
他人のも、自分のも。



そうです、人間性。

見る側も、見られる側も、
人間性を基準にしていれば、
どんなときも堂々としていられるのです。

人を見かけや家柄で判断するのではなく、
自分の見かけや家柄を気にするのではなく。


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