生きる波動の選択

以前住んでいた地域では、
自転車のふたり乗りは
見かけなかった。

傘をさして乗る人も
まったく見かけなかった。


今住んでいるところでは、
ふたり乗りも
傘さして乗るのも
よく見かけるので驚いています。



本当はいけないことを
誰かがやっているのを見て、
じゃあ自分も
という人が現れ、
そういう人が増えて、
堂々とやらかす。

こういうこと、ありますよね。

いけないことは、
誰がやっていてもいけない
はずなのに。



これは、
地球に生きる人間たちの
波動グループには、
複数あるからだろうと思うのです。

あらかじめ書きますと、
優劣の話ではありません。
肌の色がさまざまなのと同じ。



今回の人生を生きるにあたり、
初めの波動を設定してくる。

その波動を
そのまま生きる選択もあれば、
自らの意志で
別の波動で生きることもできる。


たとえるなら、
某国で
有色人種の低所得層に
生まれ育った人が、
それしか生きる場所はないと
思って生きるか。

絶対に別の場所で生きると決心し、
あらゆる努力とハングリー精神で
成し遂げるか。

そう、意志を貫くかどうか。
どんなに困難でも。


どんな波動で生きるかは、
自分で選べる。

その波動になじむまでは
少し時間がかかるかもしれない。

でも、できる。


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静かな樹


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途中を楽しめますか

のんびり生きたいなあと
思っています。

だがしかし、
のんびりしていいはずのときに、
のんびりできない。

ましてや、
日頃はあれこれ頭の中で
考えていることの多い、私。

「こんなことしていていいのか」
「早く次の仕事に移らねば」
などなど。
のんびりどころじゃない。

はてはて。
困ったものです。



そんな中、
今朝ふと思ったんです。

「道」と思ってやってみたら?と。

「どう」です。
茶道、華道、柔道、剣道などの。

茶道、華道、柔道、剣道、
どれものんびりはしていないけど、
落ち着く要素がありますよね。


自分が今やっていることの
動作ひとつひとつに
意識を向けてみる。

すると、
頭の中で考えることがなくなり、
「今」に集中できる。

おお。いいんじゃない?



たとえば、私は今
パソコンのキーボードを
打っているわけですが、
その一打一打の指先に
意識を向ける。

洗濯ものを干すときだったら、
タオルを広げる、
ピンチに留める、
といった動作ひとつひとつに
意識を置く。

そうすれば、
「こんなことしている場合じゃない」
という焦りが浮かぶスキがない。



やってみよう。
ゆったりのんびりできないときに。

これ、
途中を楽しむことに
つながるのではないかと思うのです。

結果だけを追い求めるのではなく。


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憎らしい相手は憎らしいままでいい

あらためて思った。

今まで出逢ったひとりひとりが、
私を育ててくれたのだ、と。

ひどいことをして、
私を傷つけた人。

そういう人も、
私を育ててくれた人。



私たち人間は、
誰ひとりとして完璧ではない。

でもそれは、
人間が不完全な存在だ
という意味ではない。


人間にとって、
この世は経験と学びの世界。
向上のために。
もちろん、向上の先には
ゴールがあって。

誰もがその途上。

途上だから、まだまだだ。



経験には互いが必要。

互いに学ばせてもらっている。

そうやって人は育つ。

それを向上と呼ぶ。

不完全なのではない。
途上なのだ。


そして 
どんな人も
自分を育ててくれている。

それがわかれば、
憎らしい相手も
憎みながら感謝できる。

別に、
憎らしい相手を
好きになる必要はない。
波長が合わないのだから。

それでも、
学ばせてもらったことに
感謝はできる。

自分を育ててくれた人として。


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信じて放つ

つい、口出ししたくなる。

つい、手助けしたくなる。

相手を信じていないからです。



信じて放つ。



すべての人が
実はすでに100%であると知れば、
信じることができます。

そして、任せるのです。


そのとき相手に、
「信じている」と伝えましょう。

さらに、
「どうしたらいいかわからないときは
アドバイスするから遠慮なく言って」
と言い添えましょう。



信じて放つのは、

心配しながら待つのではなく、

突き放してしまうのではなく、

心穏やかに
陰から見守ること。



なかなかできそうにない?

だからやるのです。

見守る側の修行でもあるのだから。


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