神様はしあわせの元

まじめな人ほど自分を責めます。



どうしてそうなったかは
脇に置いて。

来年は、
もっとゆるく生きませんか。

いや、来年といわず、
今この瞬間から。



自分を責めるのは、
自分と同等である
創造主を責めることです。

創造主と呼んでもいい。
神様と呼んでもいい。
なんと呼んでもいいのですが。

自分の中にいる存在。



いるどころか、

自分がまさにそのものである、

高貴で、丸くて、善に満ちている、

見えないけれども在る(ある)もの。


それを責めているのです。




神様を責めると
何かいいことありますか。



そもそも神様は
バチを当てないので、
その心配はありません。

けれども、
責め続けていたら、
しあわせが来るわけがない。

それはおわかりですよね。

神様はしあわせの元なのだから。



しあわせの元を責めてどうする。

しあわせの元は
感謝すべきもの。



たった今から
自分に感謝してください。

私よ、ありがとう。
私の中に在る、
神よ、創造主よ、ありがとう。




また来年、
ここでお会いします。

どうぞよいお年をお迎えください。


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変化の方向

「あの人、変わっちゃったな。」
と思うこと、ありませんか。

そういうときはたいてい、
相手が悪い方向に変わったと
感じているときですね。



変化というもの。

実は、
一見、悪い方向に見える変化も、
のちのち必ず良い変化になります。



この世では、
物事が直線的に進まないことが
多いですよね。

また、悪い方向に見える変化も、
その人にとって必要な経験
である場合があります。

ですから、
相手の変化を
あたたかく見守りましょう。

良い変化へつながると信じて。



あるいはもしかすると、
変化したのは相手ではなく、
あなたなのかもしれません。

良い方向に。

そのために、
変化していない相手を
受け入れにくくなった。

それでもやはり、
相手をあたたかく見守ってください。

変化の時は、人それぞれですから。



その人にとって最善の時
というものがあります。

遅いも早いもなく。


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物事の「入り口」と「奥」

たとえば学問。

たとえば武道や芸事など、
道(どう)と名のつくもの。

そういったものには、
入り口と奥がありますね。



奥に到達するには、
まず入り口から。

ではありますが、
初めての人に
その世界のすばらしさを伝えるには、
いきなり奥を見せてあげるのが
いいと思うのです。

武道だったら、
すでに達人の域にある人の
模範技を見せる。

芸事だったら、
最高のものに
いきなり触れさせる。



入り口に立たせ、
「この奥に
すばらしい世界があるから
進んでごらんなさい」
といっても、
相手はピンとこない。
進む気にならない。

それよりも、
理解できないものであっても
先に見せれば、
「あそこに到達したい」
と望み、目標になる。

まずは入り口から
というやり方だと、
そこで満足する人もいる。



奥を先に見せる
というやり方。

ある意味、
初心者には
衝撃になるかもしれない。

でもそれは、
いい意味での衝撃。


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自信の先

[ 更新が滞りましたことを
お詫び申し上げます。]



自信と傲慢は紙一重
でしょうか。

謙虚と卑屈は
どうでしょうか。



実は、
自信の先に傲慢はなく、
謙虚の先に
卑屈はありません。



傲慢になるのは、
自信が本物でない場合。

卑屈はそもそも、
謙虚とはまったく別。



本当の自信があれば、
謙虚になる。

そう。
自信の先が謙虚。

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