国を動かす冷静な目を

感情は、行動の原動力だ。
強い感情に突き動かされて行動すると、
ロケットの如く突き進むことができる。

何かを成し遂げようとするとき、
感情を高めるということは大事なことだ。



逆に、感情が操作され、それで動いてしまうこともある。
そんなとき、そのことに気づかないと大変なことになる。

私が言おうとしているのは、個人個人のことではない。
一国が向かう方向のことを言っている。
国民感情を巧みに操作して、
政治を動かそうとする人たちがいるということだ。



おそらく私は、一部の人たちから見たら、
操作しがたい人間のひとりだと思う。

あるいは別の人たちから見たら、
冷たいまでに判断基準がブレないと思う。

自慢しているのではない。

そういう私からみて、
危ないと感じることがよくあるということを言いたいのだ。



大学生の頃、必修科目の授業で、
ある映画を見せられた。
何についての映画だったかは、誤解を招くので伏せるとして、
その映画を見た学生たちのほとんどが、泣いた。

私は泣かなかった。

その映画が、“ 泣かせるために ” 作られた映画だとわかったからだ。
登場人物の境遇への、同情心を煽って。



先日、あるセミナーに出た。
そこでは、成功するには感情を高めることが一番大事と唱えていた。

確かにそうだ。
冒頭にも書いたように、感情は大いなる原動力だ。

ただ、そこで講師の言葉をすべて鵜呑みにして、
ボロボロ泣いている人がいるのには驚いた。

泣くほどの感動。
すばらしいことだ。
けれども、意図的に作られ、感情を煽るものに、
なぜ感動できるのか。
意図的と感じないからだろう。

そういうもので感動してしまう人は、
そういう操作のできる人が政治家になろうとすると、
あっさりその人を支持してしまう。
感動を呼ぶ、すばらしい人だとして。



「かわいそう」という感情もそうだ。
「恐い」もそうだ。

「かわいそう」だからという理由で、
政治を動かしてはいけない。

「恐い」というだけで、
一国を動かしてはならない。



ずいぶん前にもどこかで書いた。
アメリカの大統領が唱えた言葉をそのまま流用し、
人々の耳に心地よく響かせ、
具体的な中身は一切ないまま、
一国を動かす地位にまで登った人のことを。

ちなみに、私の耳には、
彼の言葉は心地よくもなんともなかった。
そして、私同様、
その言葉は上っ面だと唱えていた人は大勢いた。

ところが、そういう人たちの意見は大きく取り上げられることはなく、
大半の人は、彼の言葉に踊った。

そう。敢えて言う。
踊らされたのではない。踊ったのだ。


その結果、どんなことが起きたか。
回避できたはずの惨事が起き、
されなくてもいい誤解を外国からされ。



人は、主体性を持たねばならない。
踊らされたなどと言ってはいけない。
自分が、踊ったのだ。
同じ言葉を聞いた人の中に、
踊らなかった人がいるということを
思い起こしてほしい。



人々の感情を操作する人たち。
それは一部の政治家だけではない。
情報を伝える側にいる人たちの中にも、
そういう人は大勢いる。

そのことをわかって情報に接するのと
そうでないのとでは、大きくちがう。

操作されていますよ、みなさん。
あるいは、操作されかかっていますよ。



情報を伝える側が何をしているかは、
また機会があれば書きます。
私なぞが書かずとも、
そのことを危険だと唱えている人は、
日本の世に大勢いるのですが。



こんなことだけ書くと、
あたたかさのないカウンセラーだと思われるかも。
それは困る。
私のためにも、カウンセリングを受けたいと思う方々のためにも。

だから、弁明しておこう。
私は感動します。

冬、冷たい風にさらされている木々が、
芽吹きの準備をしていることを感じるとき。

春。
木の種類によって形のちがう葉が出るという不思議に。

人間。
ひどい親に、さんざんな目に合わされた人が、
その経験を自分の糧として生きていく強い姿に。

動物。
のら猫の母親が、自分はガリガリにやせながら、
子供にえさを持っていく姿を知るとき。



書いているだけでも泣けてきた。

私の感動は、「かわいそう」からは生まれない。

人から煽られたものからは生まれない。

ましてや、みんなが良いというから良い、
という発想は、みじんもないのだ。

感動は、崇高さから生まれる。



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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。

平成24年9月30日 (中秋の名月)

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