大丈夫
2011年6月17日
先日、街中で聞いた会話です。
三十代ぐらいのカップルが立っていて、
女性の方が、ストローで紙パックの飲み物を飲んでいました。
途中、吸っても出てこなくなったらしく、
「出ない」
と訴えた。
すると、男性がこう言いました。
「振らないと、ダメだよ」
さあ、みなさん。お考えください。
この会話の、どこに私が引っかかったか。
答え。
男性が言った、
「振らないと、ダメだよ」
ここです。
何の意識もせずに、こういう表現をしょっちゅう使う人。
そういう人が親になったら、子供をこう叱るでしょう。
受験生に、
「勉強しないと、落ちるぞ」
日々の勉強が嫌いな子に、
「努力しないと、置いていかれるぞ」
もうすぐ小一になる、行儀の悪い子に、
「ちゃんとしないと、学校で先生に叱られるわよ」
会社で昇進したら、部下にこう言うでしょう。
「しっかりやらないと、A社に抜かれるぞ」
おわかりでしょうか、これらの文のパターンが。
○○しないと =否定形
□□になりますよ =悪い結果
こういう言い方がほぼ口癖になっている人、世の中には多いものです。
うちの父もそうでした。
父の口癖は、「ダメだ」でした。
文の締めが「ダメだ」になるように、文章を形作っていくのです。
見事に。
「これこれしないと、ダメだ」
「ナニナニじゃないから、ダメだ」
「いついつまでにやらないと、ダメだ」
「勉強しないと、落ちるぞ」
「努力しないと、置いていかれるぞ」
「ちゃんとしないと、学校で先生に叱られるわよ」
「しっかりやらないと、A社に抜かれるぞ」
こういう言い方をされたらどんな気持ちがしますか?
ちょっと考えてみてください。
もし、何も感じないというのであれば、
失礼ながらその方は、この言い方に慣れてしまっているのかもしれません。
言われなれているか、言いなれているかのどちらかでしょう。
少なくとも、こういう言い方をされて気持ちが明るく前向きになる、
という方はいないのではないかと思います。
そうです。
否定形+悪い結果。
この組み合わせは、人の気持ちを暗くします。
あるいは、萎えさせます。
言っている方は、相手を鼓舞しようとしているのです。
でも、その効果はありません。
まず、否定形がよくない。
肯定形で言えることを否定形で言う。
これを多用する人、またまた多い。
セイン・カミュというタレント(?)さんがいますね。
彼は日本語の発音が完璧です。
日本の公立小学校に行っていたからだそうです。
その彼が、両親とともにアメリカに戻り、ハイスクールにはいりました。
すると、ある先生に指摘されたそうです。
「きみの文章には、否定形が多い」
彼は、ずっと日本にいて日本語で勉強してきたので、
思考回路のある部分が日本的になっていたのでした。
その回路のままで英語の文章を書いた結果、
否定形が多いものになってしまったのです。
おそらく、日本にいて日本語を話している限り、
そのことに気づくことは少ないと思います。
たとえば。
私、高校時代、応援団に属していました。
チアリーダーのミニスカートを履き(!)、
その衣装とはかけ離れた野太い声で応援していました。
日本での応援でよく使われる言葉に、
「ドンマイ」というのがありますね。
あれ、元は、" Don't mind." という英語ですね。
「気にするな」です。
そう。否定形。
さて私、アメリカの高校ではチアリーダーでした。(おおっ!)
やはり、ミニスカート。
飛んで跳ねて、ワォーッと甲高い声を出していました。
バスケットボールの応援をしていたのですが、
自分たちのチームにミスがあると、
チアリーダーたちはこう声をかけるのでした。
" That's OK. That's all right. We're gonna win it anyway."
意味はこうです。
「大丈夫。大丈夫だよ。どうせこの試合、勝つんだから」
否定形、はいってますか?
ひとつもありません。
OK、all right、win。
肯定だらけですよね。
同じ励ましでも、否定形を使うか、肯定形を使うか。
どちらを言われたときに気持ちがのびのびするか。
人の能力は、のびのびしたときにこそ発揮されるのです。
だから、肯定形で励ました方が絶対にいいのです。
日本人がなぜか好きな言葉、
ネバー・ギブアップ。
Never give up.
文法は合っています。
そう。これも否定形なんですよね。
私はこの言葉を
アメリカにいる一年の間に一度も聞いたことがありません。
一度も。
文法は合っているけど、それが実際には使われない。
なぜか。
その言葉がしっくりこないからでしょう。
そして、日本人にはしっくりくるのでしょう。
みなさん、きょうからぜひ、
ご自分の話す言葉に、肯定形が多いか否定形が多いか、注意してみてください。
そして、もし否定形が多いことを発見したら、
どうやったら肯定形に言い換えられるか、考えてみてください。
次。
悪い結果で終わる文。
上に挙げた例文で言えば、
「落ちるぞ」
「置いていかれるぞ」
「学校で先生に叱られるわよ」
「A社に抜かれるぞ」
の部分です。
語尾というのはとても大切なものです。
たとえば、
「△△ですね」
という文を、
「△△ですねえ」
と言えば柔らかく、
「△△ですねっ」
と言えばきつくなる。
それと同様に、文の最後がどういう言葉で終わっているかで、
受け取る側が感じ取るイメージが違ってくるのです。
「落ちるぞ」
「置いていかれるぞ」
「学校で先生に叱られるわよ」
「A社に抜かれるぞ」
は、全て、悪い結果の断定です。
それを言われた側が、
試験に受かったところ、楽しく授業を受けているところ
学校で先生にほめられているところをイメージできますか?
競争相手のA社より業績を上げられると確信できますか?
無理です。
できません。
これをもし、肯定形+よい結果で表現したなら...
「コツコツ勉強すれば、きっと合格するぞ」
「努力すれば、学校の勉強も楽しくなるぞ」
「お行儀よくすると、先生にほめてもらえるわよ」
「しっかりやってくれ。A社を追い抜こうじゃないか」
どうですか。
気持ちが明るくなりませんか。
できそう、やってみよう、そういう気持ちになるのではありませんか。
先ほど、日本人には否定形がしっくりくるようだ、と書きました。
私は日本と日本人を愛しています。
ですから、決して日本人を悪く言うつもりはないのです。
日本と日本人の持つすばらしさをもっともっと発揮してほしい。
否定形や悪い結果をイメージさせる言葉を多用するのではなく、
肯定形とよい結果を断定する文を話し、書き、
それによって明るいイメージを引き出して、
努力が100%報われるようにしてほしいと願うものです。
以前、ある方が、カウンセリングを受けにいらしてこうおっしゃいました。
「先生は、大丈夫ってよくおっしゃる。
私はそう言われたことがないので、とても驚きました」
『できると信じて明るい気持ちで努力せよ』
これが、私のモットーのひとつです。
(まだまだある。)
できると信じるためには、大丈夫と誰かに言ってほしい。
そうじゃありませんか?
言ってあげる立場になりましょうよ。
肯定形+よい結果の断定で。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。
どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのか、
月に1、2回のペースで書いていきたいと思います。
端的に言えば、「人間の本質は善である」ということ、
そして、「自分を愛してこそ、人を愛せる」
「国を愛してこそ、自分を愛せる」
ということが根底にあります。
また、どんな人生にも意味と目的があるということも伝えたいと思っています。
平成23年2月3日 (旧暦 1月1日)