「神」に偏りはないのです
2016年2月8日
神。
宗教。
こういうことばを聞いただけで
拒否反応を起こす人がいますね。
私たち日本人の祖先は、
すべてのものの中に神を見ていましたのに。
そういう 「神」 と、
西洋での 「神」 はちがいます。
西洋では一神で、日本では八百万の神ということ?
いえ、それだけでもありません。
そこがわかっていないと、
宗教は麻薬だとか、
無宗教がかっこいいという
極論に至ります。
それでいながら、
一応、初詣はする。
家族が事故にでも遭えば、「祈る」。
初詣には行かない、
神社で手を合わせないという人は
確かにいます。
そういう人が、
家族が事故に遭っても祈らないなら
本物の無神論者。
あっぱれです。
でもそこまでは徹底していなくて、
日頃は 「宗教なんて」 とうそぶいているとしたら、
それは中途半端。
かっこ悪いです。
一神教は、得てして偏ることがあります。
正確に申しますと、
正しい神の捉え方から出発したはずが、
時代を経て解釈が変わり、偏ってしまうということです。
その、偏った結果を見て、
宗教には近づかない方がいいと考える日本人が
多くなるわけです。
一神教における 「神」。
古来から日本人にとっての 「神」。
そのちがい。
ちがいを知った上で、
神に偏りはないと知ることが大切です。
神は怒りません。
神は罰を与えません。
神は供物や懇願に左右されません。
神が偏っていると思うから、
自分の信じる偏った神が、
他人の信じる偏った神を排斥するのです。
戦争の元はそこから生まれています。
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どのような考え方に基いて
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書いていきたいと思います。
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