朝のことば
2025年9月29日
前回の記事のつづきです。
私が朝一番に笑顔で唱えることば、でしたね。
こちらです。
「さあ、すばらしい一日の始まりです」
認めたもののみ現れる
類は友を呼ぶ
は本当ですからね。
すばらしい一日を現したいなら、そうであることを認めましょう。
すばらしい一日を過ごす自分を認めましょう。
ちなみに、すばらしい一日とは?
自分を磨けた日。
ひとりでも多くの人との間に、愛情のキャッチボールができた日。
自分の個性をのびのびと出せた日。
朝一番にするといいこと
2025年9月22日
朝起きたら、まず自分と世界を祝福しましょう。
状態がどうであれ。
私の枕元にはメモが置いてあります。
書いてあるのは、
・笑顔の作り方
・心の中で唱えることば
です。
目覚めて体を起こすとそのメモが目にはいるので、そうだったそうだったと、ゆっくりと満面の笑顔を作り、ことばを唱えます。
どんなことば?
なぜそのことば?
つづきは次回にさせてください。
きょうは、この記事に至るまで2本書いてやめ、時間がかかってしまったので。
道路のゴミ拾い
2025年9月15日
社会に対して
文句ばっかりいっている人々よ。
そんなことをしている時間があるのなら
道路のゴミのひとつでも
拾ってみてはどうですか。
文句ばっかりいっている人に限って、
赤の他人のために
何かする気がありません。
でっかいことをやってやろう
という気は満々だけど、
そのための一歩は小さい
ということを忘れています。
大きい小さいにかかわらず、
誰かに認められる認められないに
かかわらずやってみて、
そのすがすがしさを感じてみては。
ただし、
「こんなところにゴミを捨てやがって」
とイライラしながら拾うなら、
結局文句になりますが。
そうであるなら、
自分のそういう傾向を知る機会
にしてください。
想像の先
2025年9月8日
幼い頃から、家の中が
いろいろな意味でひどかったため、
私の想像力は大きく発達しました。
寝転んで、天井をキャンバスにし、
あれこれ思い描いていたのです。
ちなみに、
同じ環境で育った妹ふたりは、
私ほど想像力たくましい人間
ではありません。
げにも、人は環境だけに
左右されるのではありません。
環境のせいにしても無駄です。
話を戻して。
最近ふと気づいたことがあります。
私は今でもいろいろな想像を
日常的にしている、と。
しかもそれらは、他人に話したら、
「そんなことあり得ない」
とあきれられる内容だと。
たとえば?
書けません。
振り返ってみますと、
厳密に想像したとおりに
なったことはありません。
ただ、私の想像は常識を超えているので、
想像した場にたどり着こうとして
行動に移したことが、
別の結果をもたらす。
そういう経験は多々ありました。
お陰で私の人生は豊かになりました。
想像は創造です。
すべての人間は、本来、
善を創造する存在です。
どんな自分でありたいか
2025年9月1日
ことばは人を創ります。
聖書に、
「はじめに言葉あり」
と書いてあるように、
ことばが先立つのです。
何もないところに
何かを作るとき、
それが完成した形を
ありありと思い描いている人は
達成がはやいのです。
自分がどうなりたいか。
それが明確にあるなら、
「そうなりたい」ではなく、
「そうである」と断言するのです。
ただし、限定してはなりません。
明確と限定はちがいます。
社長になりたいなら、
どういう会社の、なのか。
ナニナニ株式会社の、
とすでにある会社に限定しない。
きれいでいたいなら、
女優の〇〇さんみたいにではなく、
優雅な美しさ、愛らしい美しさなど。
と、表面的な例を挙げましたが、
それより前に大事にすべきなのは、
内面の磨き出し方です。
どうなりたいかより、
どんな自分でありたいかです。