魂は突き進む

終活ということばが
はやりですが。

身の回りの整理をするのは
いいとして、
せっかくのエネルギーを
そこに集中させるのは
やめませんか。



人は老います。

ただし、
これは体に限ったことです。

人の魂は、
老いるどころか、
どこまででも高めることが
できるのです。

ぜひそのことに
思いっきり力を注ぎましょう。

自分を高める。

この一点に集中するのです。

余力で身辺整理しましょう。



そうでないともったいない。

生長に限界はないのですから。



今回の人生の終わりすら
突き抜けて生長する。

それが人間。

それが魂。


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静かな樹

どのような考えに基いて
カウンセリングを
おこなっているのかを
書いております。

時給換算

仕事をするとき、
時給がいくらになるか
考えますか。



そもそも、
時給は誰のためにあるのでしょう。

雇う側のためだと思います。

賃金を支払うために
目安が必要だから。



雇う雇われるという関係に
縛られない仕事でも、
時給換算してしまうこと、
ありますよね。

そうすると、
なんだかむなしくなりませんか。

働くことを
すべて時給で考えるようになったら、
その先にあるのは、効率。

そして、
効率で考えるなら、
やっぱりロボットでいい
ということになるわけです。



人の働きには愛があります。

そこに効率はない。

愛は時給換算できない。

ロボットは入り込めない。


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ほどほどの加減

ほどほどがいい
という場面は多いですね。



きちんとし過ぎるのは大変。

だらしないのも困る。

ほどほどに
きちんとしているのがいい。



人に流される。

ガンコ。

ほどほどに
協調性がある方がいい。




ではどうやったら、
その加減がわかるのでしょう。

ほどほどにきちんとって?

ほどほどの協調性って?



自分も他人も
同じところから派生している
魂であること。

自分の魂は善。
他人の魂も善。

それに加えて、
ひとりひとりが個性であること。

個性を出し切る途中であること。



こういったことがわかっていれば、
まずは自分を認められます。

すると、
自分が感じる心地よさを
安心して信頼し、
基準にできます。

そうなれば、
ほどほどのきちんとも、
ほどほどの協調性も、
自分がいいと思うところで
線を引くことができるのです。



極端な人生を送ると
決めて生まれてきた人は
別ですが。

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あなたの体は奇跡だらけ

西洋医学は、
人体を細かく観察して
その成り立ちを解明し、
治療に応用しています。

東洋医学は、
体全体の流れを診ます。

どちらが優れているとはいえないと
私は思っているけれども、
世間では
圧倒的に西洋医学が信用されています。


それはさておき。

医学は、
人体の仕組みは解明できても、
「なぜそうなるのか」
「誰がそれを考えたのか」
「なんのために作ったのか」
という疑問には、



答えられません。



たとえば、卵子の移動。

あるサイトにこうありました。

「排卵された卵子は
卵管の先端の卵管采で
取り込まれますので、」

あっさり書いています。
が、これは驚くべきことです。

卵巣と卵管は続いていないのです。

それなのに、

ちょうどいいタイミングで、

卵管が、卵子を取り込むのです。



これはほんの一例。

心臓の動きも、消化も、反射も、
当たり前すぎて
日頃ちっとも気に留めないけれども、
これらが奇跡でなくてなんでしょう。



あなたの体は
奇跡だらけでできているのです。

なぜ体が必要なのかは
別のところで書いていますので
ここには書きませんが、

毎日毎日、何十年も、
黙々と奇跡をおこなっている
あなたの体に、
どうか敬意を払ってください。

テキトーな栄養を与えたり、
不適切な姿勢を取り続けたり
しないでください。

外に奇跡を求めず、
すでに与えられている
無数の奇跡の集まりを
大切にしてください。


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水晶を見て泣いたのは

先日、
ある石屋さんのサイトで
出逢った水晶。

その動画を観ていたら、
いきなり涙があふれました。
グワーッと。



こういう経験は過去にもありました。

一度目は何十年も前のこと。
美術館で、大好きな日本画家さんの
作品の前に立った途端、
滂沱(ぼうだ)の涙。

しばらく止まりませんでした。



二度目は、
アマチュア男性アカペラグループの歌を
聴いたとき。

涙で顔がぐしゃぐしゃに。



そして今回。




感情が湧くことなく、
ただただ涙が流れるという経験。

あとから思うといずれもが、
真に純粋な美だったから。

作為がなく、
まっすぐ心の奥に届く
美だったのです。



そういう美が心に響くのは
なぜでしょうか。

同じものを見ても、
動物が涙を流すことはありません。

美を感じ、感動するのは、
人間だけなのです。

人間の心は美を認めます。

それは、
すでに心に
その美があるから。

外の美に、呼応するのです。



美しいものを美しいと感じる。

なんとすてきなことでしょう。


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