心を奪われない境地
2025年11月24日
パッと開くと、そのときに必要な文章のページが出る。
私にはそういう本があります。
きょう出てきた文をご紹介します。
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禅には「人境倶に奪わず にんきょう ともに うばわず」という語(ことば)がありますが、人にも境遇にも心を奪われない境地になることが必要なのです。
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自分の心は自分のもの。
それをほかの人・物・事に奪われるのは、自分の主体を失うことです。
奪うことを許したのは自分。
取り戻しましょう。
心を、「今ここ」にしっかりと。
難しいことではありません。
自分で決めればいいだけです。
心を、「今ここ」にしっかりと。
めぐりめぐって
2025年11月16日
自分の人生の主人公は、自分。
地球上の人々は脇役。
すべての人が主人公であり、同時に脇役なのです。
自分を生かすために人々がいるのであり、人々を生かすために自分がいる。
直接的あるいは間接的に、愛のキャッチボールをしています。
道ですれ違った見知らぬ人。
その人の働き、笑顔、ことばが、愛として、めぐりめぐって自分に届いています。
自分もまた、愛をその人に届けているのです。
大きな愛の循環を知れば、争う必要はなくなるでありましょうに。
すばらしきかな、人類。
すばらしきかな、地球。
同じ境遇にいたとしても、同類とは限らない。
2025年11月10日
大学や高校の同級生に久しぶりに会うと、驚くことがあります。
自分の出身校を、思いっきり「下げる」人がいること。
「もう年だから」と、何度もいうこと。
そして何より、私が同調すると信じている様子であること。
出身校については、医師になる機会を与えてくれた母校に、私は心から感謝しています。
年齢については、これまで過ごしてきた年月よりこの先の年月の方がはるかに短いのですが、特に気にしていません。
むしろ、今までやってこなかったことで、自分自身を地球のために活かせることはなんだろうといつも考えています。
同類相哀れむ。
そういう関係性がほしいのでしょう。
私はそれをあげられません。
楽しい思い出話をしましょう。
そして、未来を明るく語りましょう。
そう言いたい。
人間は、目的がなくても生きられる。
2025年11月3日
人間は、人生に目的がなくても生きていけます。
正確には、目的を自覚しなくても。
なんとなく生きている。
自分の欲を満たすことだけを考えて。
ごく身近にもそういう人がいます。
疑問を感じないのでしょうか。
私には不思議です。
何がいいたいのか。
人間には、心の底に「真の目的」が植えつけられているのですが、それを知りたいと思うかどうかは自由だ、ということです。
知る機会があっても拒む人すらいます。
拒むのも自由です。
せっかく「真の目的」があって、それを果たすというすばらしい道があるのに、もったいないなあと思います。
説教する気はありません。
ただ、私がそうであったように、知りたいとずっと求めている人に届けたいと思っています。
