日本人が持つ大前提

ほとんどの日本人が、
家庭あるいは学校でしつけられる。

その教えのうち、
日本で生きる上では非常に有用だけれども、
ひとたび外国へ出たら通用しないことが
いろいろある。

もちろん、他国の場合でもそうだろう。
やはり、その国では通用するけれども、
というものはある。




日本でしか通用しないことの中に、
「とにかくすぐ謝りなさい」 というのがある。

そして、「素直に」 謝れば、
「水に流される」 ため、許してもらえる。

当人に非があるかどうかの検証は後回しで、
とにかく謝ることが最優先。

謝る対象は、「悪かった」 ことだけではない。
「煩わせた」、「お騒がせした」ことも含む。



もうひとつ。
「話せばわかる」 というもの。

地球上には、
「腹を割って話す」 文化のない地域があるのだ。

「腹のうち」 を絶対に見せてはいけないと、
互いが思っていて、それが当然の地域が。

それを知っておかないと、
自分の身を守ることすらできなくなる。



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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。

平成24年9月30日 (中秋の名月)

表の心 奥の心

心には、表の心と奥の心があります。
表の心は全体の10%、
奥の心は90%を占めると言われています。

奥の心は、自分では全く気づかない部分です。
隠れています。
その中にどんなプラスの思いがあるのか、
どんなマイナスの思いがあるのか。
自分の心の一部なのにわからないのです。

表の心で、
「こうありたい」とか「こういうふうに生きたい」と思っていても、
奥の心がそれに反する思いを持っていたとしたら…うまくはいきません。
なぜなら、奥の心は全体の90%あり、力が強いからです。

「健康でありたい」と、表の心が願ったとします。
ところがもし、奥の心に、
「病気になって自分を罰しなければならない」
という思いがあったとしたら…健康にはなれません。

「幸せな結婚がしたい」と、表の心が願ったとします。
もし、奥の心に、
「結婚は人生を破滅させる」という思いがあったとしたら?
おわかりですね。

「強く願うと叶う」と言われていますが、
それは、奥の心がその願いに協力してくれたときなのです。

奥の心には、
自分が気づかないうちに入れてしまったマイナスの思いが
たくさんはいっていることがあります。

奥の心にプラスが多ければ多いほど、
その人の表の心の願いはすんなりと叶います。
90%の力は、かくも大きいのです。

奥の心に安心安全な方法でアプローチし、
マイナスの思いを見つけ、それをプラスに変えていく。
そのお手伝いをするのが私の役目です。



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平成24年9月30日 (中秋の名月)

巡り巡って

うちのマンションのゴミ収集所に、
分別しないゴミを置いていく人がいるのです。

透明なビニール袋の中身から推測するに、
若い女性です。

そして今朝5時頃、
ドサッという音と、小走りに去っていく足音が聞こえました。
ヒールの音です。

あ、また置いていったな、と思いました。

一瞬、正体を突き止めようかと考えましたが、
布団から出て窓を開けているうちに姿は見えなくなると思い、
あきらめました。



その女性はおそらく、
闇夜にまぎれてゴミを置き、
自分の前からはめんどうなものが消えて快適なのでしょう。

誰がやったかバレなければ、
その先がどうなろうとかまわない。
また、自分に何かが降りかかってくることなどないと
思っているのでしょう。



甘いよ、ねえちゃん。



自業自得ということばをしってるかい?

因果応報はどうだい?



ことわざとか四字熟語ってのはね、
伊達じゃないんだよ。



自分がしたことがバレず、
そのまま逃げおおせたと思っても、
思わぬところでその報いを受ける。
そのことは、知っておいた方がいいと思うよ。



自業自得も因果応報も、
悪行に対してだけ使われることが多いけど、
本来は、良いおこないも悪いおこないも含めていたんだね。

自分という人間と、他人、生き物、自然、地球、宇宙が
すべてつながっているとわかれば、
どこからか報いが来るのは当然とわかるはず。



善徳を積んでおいた方がいいよ。

そして、その報いがどこから来るかなんて、
期待しないでいるのが一番だよ。

自分に返ってこなくても、
孫子の代で返ってくることだってあるし。

そうそう、つまりね、
悪いおこないも、逃げ得なんてないってこと。

自分は逃げ切っても、
子どもや孫が困ることもあるわけ。

それでいいの?



目の前のゴミが自分の前から消えればそれでいい、
というねえちゃんに、
未来とか、自分の子孫の人生を想像する力は
ないのかもなあ。

そこからなんとかした方がいいかもなあ。


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平成24年9月30日 (中秋の名月)

人の気持ちを思い かつ自己犠牲を払わずに

表題は、数日前に思いつきました。
どういうことを書くかについても、
そのとき構想がありました。

そしたら、昨晩。
夢を見たのです。
まさにきょう書く内容に一致する夢を。

三十代ぐらいのお母さん、
小学3年生ぐらいの男の子、
幼稚園児ぐらいの弟。

男の子は、あるキャラクターが好きなのでした。
そのおもちゃを買ってもらえることになり、
この上なくワクワクしていました。

いよいよ買う段になったとき、
弟がごねたのです。
なんと言ってごねたかはよく覚えていないのですが、
そのごねをなだめるため、お母さんは、即座に、
男の子にキャラクターのおもちゃを買うのをやめました。

男の子は、黙ってそれを受け入れました。

弟の機嫌は直り、
お母さんは何事もなかったかのような顔をしています。

男の子は、じっと耐えています。
本当は、泣きたいぐらいがっかりしているのです。
ワクワクの絶頂から一気に突き落とされたのです。
でも、男の子は、下を向いて耐えています。

私はその姿を見て、
思わずお母さんに訴えたのでした。
「弟のために、この子にがまんさせるのですか。」 と。
「あなたにとっては、この場を収める一番楽な方法かもしれない。
でも、そのお陰で犠牲を強いられた彼の気持ちを
考えたことがあるのですか。」 と。




ずいぶん昔、電車の中で見た光景。
小学生ぐらいの姉妹と母親が、並んで座っていました。

母親は居眠りをしていて、姉妹はじゃれ合っていました。
そのうちけんかが始まり、母親は目を覚ましました。
そして、事の成り行きを知ろうともせず、
おねえちゃんの方をきつく叱ったのです。
そしてまた、居眠りに戻りました。

けんかを見ていた私からすれば、
悪いのは妹の方でした。

妹は勝ち誇った顔。
おねえちゃんは目に涙を貯めています。

私は、母親を揺り起こして意見したい気持ちでした。




自己犠牲を払うことを学ばせてはなりません。

「おにいちゃんなんだから」 「おねえちゃんなんだから」 で、
理由に関係なくがまんさせる理不尽は、
自己犠牲を払いやすい人を作ります。

反対に、弟、妹であるというだけで、
どんな場合にも主張を通させていたら、
わがままな人間、一丁上がり。



兄弟関係においてだけではありません。
人の気持ちを思い、人のために動くのはよいことだけれども、
そのために自己犠牲が必要だと感じるなら、
それはどこかがまちがっています。

自己犠牲を払わずとも、
人のためになることは可能なのです。



飢えている人に食糧を提供した結果、
自分が栄養失調になったのでは、
なんの意味もないでしょう?




最善を尽くしつつ、自分も大切に。

それが、できる範囲でやるということではないでしょうか。


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