人の気持ちを思い かつ自己犠牲を払わずに

表題は、数日前に思いつきました。
どういうことを書くかについても、
そのとき構想がありました。

そしたら、昨晩。
夢を見たのです。
まさにきょう書く内容に一致する夢を。

三十代ぐらいのお母さん、
小学3年生ぐらいの男の子、
幼稚園児ぐらいの弟。

男の子は、あるキャラクターが好きなのでした。
そのおもちゃを買ってもらえることになり、
この上なくワクワクしていました。

いよいよ買う段になったとき、
弟がごねたのです。
なんと言ってごねたかはよく覚えていないのですが、
そのごねをなだめるため、お母さんは、即座に、
男の子にキャラクターのおもちゃを買うのをやめました。

男の子は、黙ってそれを受け入れました。

弟の機嫌は直り、
お母さんは何事もなかったかのような顔をしています。

男の子は、じっと耐えています。
本当は、泣きたいぐらいがっかりしているのです。
ワクワクの絶頂から一気に突き落とされたのです。
でも、男の子は、下を向いて耐えています。

私はその姿を見て、
思わずお母さんに訴えたのでした。
「弟のために、この子にがまんさせるのですか。」 と。
「あなたにとっては、この場を収める一番楽な方法かもしれない。
でも、そのお陰で犠牲を強いられた彼の気持ちを
考えたことがあるのですか。」 と。




ずいぶん昔、電車の中で見た光景。
小学生ぐらいの姉妹と母親が、並んで座っていました。

母親は居眠りをしていて、姉妹はじゃれ合っていました。
そのうちけんかが始まり、母親は目を覚ましました。
そして、事の成り行きを知ろうともせず、
おねえちゃんの方をきつく叱ったのです。
そしてまた、居眠りに戻りました。

けんかを見ていた私からすれば、
悪いのは妹の方でした。

妹は勝ち誇った顔。
おねえちゃんは目に涙を貯めています。

私は、母親を揺り起こして意見したい気持ちでした。




自己犠牲を払うことを学ばせてはなりません。

「おにいちゃんなんだから」 「おねえちゃんなんだから」 で、
理由に関係なくがまんさせる理不尽は、
自己犠牲を払いやすい人を作ります。

反対に、弟、妹であるというだけで、
どんな場合にも主張を通させていたら、
わがままな人間、一丁上がり。



兄弟関係においてだけではありません。
人の気持ちを思い、人のために動くのはよいことだけれども、
そのために自己犠牲が必要だと感じるなら、
それはどこかがまちがっています。

自己犠牲を払わずとも、
人のためになることは可能なのです。



飢えている人に食糧を提供した結果、
自分が栄養失調になったのでは、
なんの意味もないでしょう?




最善を尽くしつつ、自分も大切に。

それが、できる範囲でやるということではないでしょうか。


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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

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平成24年9月30日 (中秋の名月)

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