しあわせという美酒

自分に与えられているものを
「当たり前」と思うか、感謝するか。

このちがいはとても大きい。
今の思いが未来を作るのだから。


すでに与えらえているものを
当たり前と思うなら、
この先
何が与えられても、
それはあっという間に
「当たり前」になるだろう。

そうなると、
「あれがほしい」「こうなりたい」
と渇望したまま生きることになる。


渇望はある意味、
原動力になるかもしれない。

けれども、
喉が常に渇いた状態で走りつづけて、
心地よいわけがない。


この瞬間に与えられているもの。
意識すらしないもの。
それらに感謝して歩むなら、
さらに与えられるものも
存分に楽しむことができるだろう。


なんでも当たり前、大したことはない
と思っている人は、
「私はあまりしあわせではありません」
というラベルを自分に貼っている。

感謝する人は、
「私はしあわせ者です」
というラベルを貼っている。

しあわせという美酒は
どちらに注がれるだろうか。

「酢」と書いてあるびんに
純米大吟醸を入れて
出荷することはない。


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毎週月曜日 朝8時
更新予定です。

愛の受け取り方

愛することは大切です。
「愛する」の正確な意味を知った上で。

さらに、「愛を受ける」ことも大切です。
愛はキャッチボールだから。



相手が出す愛が
自分の好みの形とちがうとき、
即座に突っ返すのはまちがっています。

オムレツが食べたい気分のときに
あまり好きでない目玉焼きが出てきても、
怒ったり、すねたりしては
いけないのです。

目玉焼きは食べましょう。
「おいしい」といいましょう。

そして別の機会に、
自分がいかにオムレツ好きかを
うまく伝えましょう。
目玉焼きと比較はせずに。

伝えずに
目玉焼きを食べつづけるのも、
実は愛ではありません。
がまんだから。

相手は自分を喜ばせようと
しているのです。
心から喜べる形でもらえばいいのです。



愛の受け取り方が上手であること。

大事です。

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未来は過去の延長線上にはない

過去、現在、未来は
一直線上にある。
そうとらえている方は
多いと思います。

なんとなく。

すると、
過去の延長線上に未来があって、
未来はもうほぼ決まっている。
と、これまた
なんとなく思ってしまいます。

その結果、どうなるでしょうか。

惰性で生きる。

あきらめて生きる。

流されて生きる。


人生は一度きり。
死ねばどうせ消える。

となれば、
どう生きてもかまわない。

逆に、
人生は連綿とつながっていて、
常に向上の道の途中とわかれば、
惰性で、あきらめて、流されて
という生き方は
絶対にありえないとわかります。

そうです。
人生の意味を知るか知らないかが
大きなちがいを生むのです。

いつ知っても遅くはありません。

遅かったと思うこと自体、
未来を過去の延長と見ていること。


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宗教観

欧米人から、
「日本人の大半は無宗教だ」といわれ、
それに同意する日本人がいますが、
そうではないですよね。

単純にはいえないところを
単純にいうと、
欧米では
神は対峙するもので、
日本では
神は自分たちを囲んでいるもの。

「神」ということばの定義が
ちがうのです。



「神が宿る」という表現を
日本人は受け入れます。
囲んでいれば、宿りもします。

「すべてのものに神が宿っている」
という考え方を
原始的だといって
ばかにする人がいますが、
原始的なものがすべて
遅れているとするのは
いかがなものでしょうか。

非科学的というなら、
欧米の宗教も非科学的です。
神がいるというのですから。
それは証明できないのですから。


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体を大切にすべき本当の理由

体を大切にしましょう。
健康のために
栄養バランスを考え、
適度な運動をし、
ストレスを溜めないようにしましょう。

よくいわれることです。



ではなぜ、
体は大切にすべきなのでしょうか。

病気が怖いから。

どこかでそう思っていませんか。



恐怖に追い立てられて何かをするなら、
それはストレスになります。

病気を恐れ、
その恐れから体を大切にするなら、
かえって
自分にストレスを与えていることに
なるかもしれないのです。



体が、ある。

病気が、ある。

そういう観点から見れば、
病気を恐れるのも無理はありません。



見方を変えてみてください。

体は、
魂がこの世でさまざまな経験を積むために
自らこしらえたもの。

魂のお宮なのです。

お宮は大切にされるべきですね。

体を大切にするのは
そういう理由からです。

お宮を大切にしようとする気持ちには、
恐怖はないはずです。


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