愛をどこに出すか

愛ということばには
さまざまな定義があります。

ときに、
自分勝手な意味や
自己陶酔のために
使われることもあります。


愛は
感情でありながら理性です。

愛は
暖かく同時に峻厳です。



自分の満足と
社会的な結果を得て、
それでよしとするのは
片手落ちの愛。

自分を愛し、
社会の人からも
愛されたかもしれませんが。


隣人はどうでしょう。

この場合の隣人とは、
家族、
自分の住む地域の人々、
友人たち。

自分の満足と
社会的な結果を優先して、
隣人の思いを
無視してきたとすれば?

のちのち
それは自分に返ってくるでしょう。



忙しさを口実に、
家族が自分を必要としている
まさにそのとき、
そばにいなかった人。
突き放した人。

地域住民としてすべきことを
さまつだとして
ほかの人たちにさせてきた人。



自分の仕事は高尚である。
自分は社会に貢献している。
多くの人によろこびを与えた。

そうであっても、
全人的な愛という観点から見れば、
それはほんの一部。

目の前を見ず、
遠くを追いかけてきただけ。



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メンタルコンサルテーション
静かな樹

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