誰のせいでもない人生
2020年8月30日
ある人が、
「自分にはなんの才能もない。」
と思ったとします。
するとその人は、
いつまで経っても
才能を開花させることができません。
またある人が、
「自分は誰からも愛されない。」
と思ったとします。
そうするとその人は、
愛してくれる人に巡りあっても
気づきません。
才能も愛も、
「ない」のではありません。
「ない」と思い込んでいるのです。
本当は「ある」のに。
思い込むきっかけは
なんだったのでしょう。
誰がそのきっかけを作ったのでしょう。
探し出したくなる気持ちはわかります。
けれども、
きっかけや犯人探しは、
「あの人のせいだ」
「あれがあったから、
私はこうなってしまったのだ」
と納得して終わる。
それだけです。
前へ進むことはないでしょう。
自分のせいじゃない、
◯◯のせいだ、
という理由を掲げていれば済むから。
そんなことよりも、
「ない」は思い込みだと気づいたら、
「本当はある」に切り替えることです。
これは本人の選択にかかっています。
他人が切り替えてあげることは
できません。
自由を侵すことになるから。
誰かのせいでこうなった、
は終わりにしませんか。
自分のせい?
自業自得ということでしょうか。
それも終わりにしませんか。
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静かな樹
どのような考えに基いて
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おこなっているのかを
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心の方向性と安心感
2020年8月24日
人生をどう生きるかは、
その人の心が決める。
ひとりひとりには、
心の方向性を決める自由がある。
心はいくらでも変えられる。
もし、
「よいことのあとには
必ず悪いことが起きる」
「この人生は
過去の悪業(あくごう)への
償いの時間だ」
などと心のどこかで信じていれば、
それが人生の方向性を決める。
そこから出ようとしない人もいる。
それも自由。
心の働きに目を向けるのは、
自分の人生に目を向けること。
しかし、
実はさらに肝心なことがある。
心の奥に
動かずに存在するものがあり、
それが人間の本質である
と知ること。
本質は光。
本質は愛。
本質は善。
本質は揺るがない。
だから、
暗い歴史が
大小数えきれないほどあっても、
人類はこの地球に生き、
前へ進もうするのだ。
揺れ動く心だけしかないのなら、
とっくに絶望しているだろう。
心の奥には光がある。
それは揺るがない。
なんという安心感。
その光を
人生に投影するために、
自分の心の方向性を
最善のものにする努力をしよう。
それが地球のためでもあるから。
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何を信じ、何を信じないのか。
2020年8月17日
新型コロナウィルスについての報道が
連日なされている。
個人が発信する情報も多々。
何を信じるのか。
それは、当然ながら自由。
信じるものと信じないものを
はっきり分けられて、
その選択に迷いがない。
そうであるためには、
日頃から
自分の土台を持っていること。
これに尽きる。
では、
その土台が正しいかどうかの
基準はどこにあるのか。
最終的に
全人類をしあわせにするものであること。
かつ、
そこに行き着く過程で
誰も傷つけないこと。
「誰も傷つけない」
この条件は非常に大切だ。
たとえば、
銃を捨てれば
最終的に世界はしあわせになる。
けれどもその過程で、
銃を捨てない人に殺される人たちが出る。
ということは、
銃を捨てればいい
という単純な図式ではない。
日本人が「平和、平和」と唱え、
武器を捨てればそれだけで、
世界中が共鳴して平和になるのか?
そう信じている人に問う。
「健康、健康」と唱えていれば、
それだけで
新型コロナウィルスがいなくなるのか?
そんなはずはない。
となれば、
この考え方の土台はまちがっている
と、わかるだろうに。
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釈迦やキリストですら
2020年8月10日
今に伝えられている
釈迦のことば、
キリストのことば。
正確か、というと
それはわからない。
それでも、
彼らのことばを貫いて流れるものが
同じであることから、
ゆがめずにとらえたいと思う。
ゆがめれば優生思想にもなり、
社会から離反して生きることが
一番ともなってしまう。
生きる上で大切だと
自分が強く信じることを
人に伝えたいとき。
つい、力がはいりがち。
そして、
伝えても受け取らない人が多いと、
(たいてい、そうだ。)
怒りや悲壮感が湧いてくる。
「なんでわかってくれないんだ!」と。
そんなときは思い出そう。
釈迦やキリストですら、
いっていることを受け取ったのは
ごく一握りの人たちであったこと。
弟子に裏切られたこと。
ことばの一部を取り出して、
歪曲されたことだってあったこと。
つまり。
伝えたいなら
情熱を持ちつつ、淡々と。
怒りや悲壮感は
伝えることの妨げにしかならない。
伝わったらよし、
伝わらなくてもよし。
人には自由があり、
縁あって伝わる人には伝わるのだから。
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幸運に恵まれたいなら
2020年8月3日
幸運に恵まれたいなら、
小さな幸運を
大きく大きく喜ぶことです。
「たまたまだった。」
「そういつもうまくいくわけない。」
「この程度のこと、大したことない。」
などといっていると、
幸運は来なくなります。
ヒョイとやってきた
小さな幸運を喜びましょう。
また、
一見よいとは思えなかったことが、
大転換して福をもたらす。
そんなときも、
それを幸運と呼びましょう。
幸運は、
喜ぶ人のところにやってくるのです。
類は友を呼ぶということです。
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