「お天道様が見ている」は正しい
2013年3月25日
お天道様。
おてんとさまと読みますね。
私が子供の頃はもう言われなくなっていましたが、
悪いことをすると、
「お天道様が見ているよ」
と戒めた時代がありました。
天の道と書いて、お天道様。
太陽そのものを指すのかというと、そうでもないように思います。
上から、余すことなく見ている峻厳なる存在。
そのような意味でしょうか。
お天道様と人間の間には、
洗礼のように目に見える契約もないし、
聖書やコーランのような教えの書もない。
そうそう。
神道には教えの書物がないということ、お気づきですか。
自然そのものに教わり、
自然を敬い、自然と共存するのが、
日本人の信仰心の一部なのではないかと思います。
一部だと申しますのは、
そのほかに、先祖をお祀りすることなども
日本人にとっては大切な信仰だからです。
「お天道様が見ているって言ったって、
悪党はのさばるばかりじゃないか」
と言う人がいるかもしれません。
お天道様は、罰を与えたりはしないのです。
お天道様は、「愛」と「法則」なのです。
それこそが、「天の道」。
「誰も見ていなから」と悪事を働いて逃げおおせたとて、
いずれ法則が自分を裁きます。
誰も気づかないところで善行を行ったのなら、
のちのち大きな愛となって返ってきます。
「お天道様が見ている」というのは、
この世には常に愛と法則が働いているということを
わかりやすく言い換えたものだと私は思うのです。
上の方にいると思っていたお天道様。
実は自分の中に在るのです。
愛と法則として。
だから、晴れていようが曇っていようが、真っ暗な夜だろうが、
「お天道様は見ている」わけです。
逃れようがない。
逆に言えば、愛と法則に則った生き方をしていれば、
「お天道様が見ていてくれる」ということです。
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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)