やってみるだけ

世のため人のために何事かを成すには、
まず自分自身を整え、
自分自身が幸せでなくてはなりません。

自己犠牲が先に立つ考え方は、
必ずほころびを生じます。

また、自分は人の役になど立たないと思うなら、
それは一種のジコチューです。
生きるということを自分のためにだけ使っているわけだから。

 

まずは、自分自身が幸せであるべき。

じゃあ、幸せってなんだろう。

自分がこの世に生まれた意義と使命を知り、
それを具現化するために努力する。
それがひとつひとつ実を結んでいく。
その過程が幸せなのではないでしょうか。

また、人生は楽しいと心から思えること。
そのためには、人とのつながりも大切にし、
自分のやりたいことを言い訳せずにやってみる。

 

先日、テレビ番組「徹子の部屋」に、
96歳の現役報道写真家という女性が出ていらっしゃいました。

そのお姿と話しぶりは、70代としか思えません。
よぼよぼ婆さん、頑固婆さんからは程遠いものでした。

その方に、徹子さんが聞きました。
「今の若い方に何かおっしゃりたいことはありますか」

お答えはこうでした。
「何にでも挑戦してごらんなさい」

さらに彼女は続けます。
「何をしていいかわからない、という若い方に、
絵を描いてみたら? 書を書いてみたら? と勧めると、
『才能がない』という返事が返ってくる。
才能がないかどうか、やってみないとわからないでしょう?」

96歳の写真家は、来年ニューヨークに飛んで写真を撮ると言うのです。
「女に何ができるか」と言われた時代を生きてきたのです。
それでいながら、気負いが全く感じられない。
イキイキとした生命力が、あふれ出る魅力を作っているのでした。

 

私が確信を持って言えることがあります。

ある行動を起こすべきときに、
「◯◯だからできない」と堂々と言い続ける人は、
◯◯がなくなると即座に、
「△△だからできない」と、別の理由を見つけてきます。
そして、またそれを堂々と言い続けます。
さらに、△△の理由が効かなくなると、
「◎◎だから」と言い始めるのです。間髪入れず。

例を挙げてみましょう。

「私は頭が悪いから」
「私は才能がないから」
「私は器量が悪いから」
という理由で自分を生かそうとしない人は、
結婚して子供が生まれると、
「子供がいるから」
と何かにつけて言います。

確かに、子供がいることはいろんな面で制約です。
けれども、それをしょっちゅう言う人と言わない人がいるのです。

さて、子供を常に理由にしていた人は、
子供がある程度大きくなると、何と言い始めるか。

「年だから」

ああ、これはもう決定打。

子供が " ある程度 " 大きくなるという点がまたクセモノで、
下の子が小学生になったら十分手が離れたと思う人もいる中で、
下の子が大学を卒業するまで「子供がいるから」と言うこともできるのです。

余談ながら、そういう人の子供はいつまで経っても親離れしません。
当然ですよね。

 

「年だから」は、いつから有効なのでしょう。
30代で、「自分はもう若くない」と言う人、いますよね。
人生80年のうち50年を、
「若くない」「年だから」と言い暮らすことに費やすつもりなのでしょうか。

 

別の例を挙げましょう。

「突撃 となりの晩ごはん」というヨネスケさんの番組コーナー。
これ、私、好きなんです。
なにせ、普通じゃない家に生まれ育ったので、
普通の家のごはんが見たい。
現在休止中のこのコーナー、早く再開しないかなあ。

さて、ヨネスケさんがあるお宅に突撃しました。
いつものようにズカズカと上がります。

すると、この家の30代とおぼしき小太りの奥さん、
「ああ! 見ないでぇ!」
と叫びつつ、部屋のものを隠し始めました。
けれども、ちょっとやそっとでは隠せないぐらい、散らかっている。

「なんか、雑然としているねえ」
とヨネスケさん。
その言葉に、小太り奥さんは反射的に言いました。
「引っ越してきたばかりなので」
「いつ引っ越してきたの?」
「半年前」
「・・・」

「引っ越してきたばかりなので」を、
この奥さんは片づけない理由として言い続け、半年が経った。

半年もそれを理由にする度胸もすごいと思うけど、
それは、大学生の息子ひとりが家に残っているだけなのに、
「子供がいるから」と言い続けるのと同じこと。

小太り奥さん、
さすがに1年経ったら、もう今の理由は使えないでしょうね。

さて、次は何を理由に?

私には確信があります。
この人は、必ず次の理由を見つけてきて、
それを堂々と主張するであろうと。

みなさん、もうお気づきですよね。

こういうのは理由とは言わない。

言い訳と言うんです。

 

この文章、冒頭からどんどんそれてきたように見えるかもしれません。
私の中ではつながっているんです。

96歳の写真家の言葉をもう一度。

「なんにでも挑戦してごらんなさい」

そうです。言い訳せずに。

できれば再度、この文章の冒頭を読んでみてください。
つながっているのがおわかりいただけると思います。

 

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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのか、
月に1、2回のペースで書いていきたいと思います。

端的に言えば、「人間の本質は善である」ということ、
そして、「自分を愛してこそ、人を愛せる」、「国を愛してこそ、自分を愛せる」
ということが根底にあります。

また、どんな人生にも意味と目的があるということも伝えたいと思っています。


平成23年2月3日 (旧暦 1月1日)