いい人と思われてこそ存在価値のある私

つまり、

他人からいい人と思われていないと、
自分には存在価値がない。

ということです。



多いと思うんですよね、
こういうふうに思い込んでいる人。




そういう人は、当然いい人です。

いい人でい続けます。

いつも。

ずっと。

少なくとも、他人の前では。




いい人でいられない状況になると、
途端に恐怖に駆られます。

自分の存在価値が危うい!




そのうち、そういう状況になりそうになると、
逃げるようになります。

逃げるのは、いい人のすることではないのですが。

「この人、実はいい人じゃないのね」
と、はっきり思われるぐらいなら、逃げます。

「いい人じゃない」と思われるのが怖いので、
なんとなく姿を消し、
なんとなくうやむやにして、
「いい人だった」ぐらいにしておこうという作戦です。




「飛ぶ鳥跡を濁さず」ということわざすらも、
どうでもよくなります。

自分が逃げたあとのことは知ったことではありません。

大切なのは、「いい人じゃない」レッテルを貼られるのを
避けること。





そうやって渡り歩き、いい人でい続けることは可能です。

表面的には。

しかしながら、跡を濁しっぱなしにされた方は、
逃げた人に対して好印象は持ちません。

「あの人、責任果たさずに逃げたね」
と思います。




今付き合っている人たちにとってはいい人でも、
過去の人たちにとっては無責任な人。

そんなことで、人生がうまくいくはずはないのです。

自分の人生に影響を及ぼすのは、
目の前にある事柄や関係だけではないのですから。

逃げれば済むってもんじゃあ、ないのですよ。





そもそもは、
自分の存在価値の決め方がまちがっていますよね。

自分の価値は、他人の評価によるのではありません。