責任の負いすぎ

以前にも書いたことが
あったかと思います。

責任を負いすぎる人がいる
ということ。



私は、
責任を負いすぎる父と
責任を放棄して平気な母
の間で育ちましたので、
どちらの思考回路も
知っています。

ふたりはあまりに両極端。

そんなふたりから、
夫婦という人間関係が
どうやってバランスを取るのか
についても学びました。

この点はさておき。

二十歳そこそこの頃、
あるテレビ番組を観て、
借金の保証人になることの
リスクを知りました。

そこで私は
まだ十代だった妹たちに
その話をして、こういいました。

「将来、何があっても
あなたたちの借金の保証人には
ならない。

私も、あなたたちに頼まない。」

妹の代わりに責任は負わない
と宣言したのです。



数十年たって、
こんなことが起きました。

妹Qが、
他人様X氏に金銭的な迷惑を
かけたのです。

間にはいったY氏から、
私に抗議の電話がありました。

青天の霹靂でした。


迷惑先のX氏は信仰が厚く、
「許す」方だったので、
問題にはしないとおっしゃった
そうです。


そうであっても、妹Qは、
私の大切な友人Y氏の顔に
泥を塗ったのです。

私は心から謝りました。

Y氏は、
私に免じて許すといってくれました。


このいきさつ、
妹Qには話していません。

大の大人です。
どうやったら
迷惑をかけることになるか、
わからないはずがない。

また、
私が説教してもムッとするだけ。

そう思ったからです。



ところが、
つづけて別件があり、
私の耳にはいってきました。

こんどの迷惑先Z氏は、
私が懇意にしている店の主。

道理で、
Z氏の私に対する態度が
少し変でした。


ここで私は
自分に言い聞かせたのです。

妹Qの代わりに謝るのは
もうやめよう、と。

少し態度の変なZ氏を前にして、
妹Qの話題は
一切出さないことにしました。


おそらくZ氏も、
私が謝れば
気持ちを収めてくれたでしょう。

しかし、
そうやって毎度毎度
陰で妹の尻ぬぐいをしていたら、
父と同じことになってしまいます。

責任の負いすぎ。

(父だったら、
相手に弁済していたでしょう。
しかも、妹Qには黙って。)


幸い、
友人Y氏、店主Z氏と私とは、
今でもつながっています。

そのことには
本当に感謝しています。

せめて私は、
Y氏Z氏に対して
誠実でありつづけようと
思っています。



いつか、何かのきっかけで
妹Qが自分がしたことの非に
気づく日がくるかもしれません。

こないかもしれません。

それはわからない。



さて、
この話を読んでどうお感じですか。

あなたが私の立場だったら
どうしますか。


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三次元は波動でできています。

波動、つまり波です。


その波の上に、私たちは、
思いの波を乗せていきます。

良い思い。
悪い思い。

プラスの思い。
マイナスの思い。


波は伝播していきます。

すると、

自分の思いを誰かが受け取る。

誰かの思いを自分が受け取る。



「あの人とは波長が合う」
といいますね。

思いの波の形に、
合う合わないがあるということです。

私たちは、
自分の思いの波長に
合うものを受け取っています。

合わないものは
受け取りようがありません。
合わないのですから。


日頃からプラスの思いが多い人は
プラスの思いの波を受け取る。

マイナスの思いが多い人は、
マイナスの思いの波を受け取る。

そして、
元の思いを強化していきます。
どんどん、どんどん。


プラスの思いの人は
強化されたプラスの方向を
自然と見ることになり、
すんなりと進んでいきます。

結局、
自分の人生は、自分の思い次第。

プラスに生きたかったら、
どんなときでも
プラスの思いにする努力を
すべきなのです。


ちなみに
社会現象が起きるのも
同様の理屈です。

社会現象は、
プラスあるいはマイナスの
思いの巨大な集合体です。


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どこまで “わかる” か

脳に障害等があったり、
判断力が失われていたりする
場合は別として。

「考えればわかるでしょう?」
ということがわからない人がいる。


たとえば、
他人の土地に粗大ゴミを捨てたら?

自分自身を責めている人に、
さらに追い打ちをかけるような
ことばを投げかけたら?

どうなるか。

なぜわからないのでしょう。



単純にいえば、
肉体は同じ三次元に生きていても、
人それぞれ、
魂学校のレベルがちがうから。



仮に魂学校と書いたけれども、
魂はそもそも完全。

その完全さは一点に凝縮しているので、
展開させることで
美しい世界を味わえる。

展開するには練習が必要。
さまざまな経験も必要。

その経験を積むのが魂学校。
この三次元世界。


魂学校のレベルがちがうとは、
ある人は大学院生、
ある人はまだ幼稚園児、ということ。

大学院生と幼稚園児。
人間的な価値は、等しい。

しかし、どれだけ学んだかには
大きな差がある。

だから同じ事象に遭遇したとき、
心で理解して反応する人と、
理解できないまま反応する人がいる。



幼稚と成熟。
それを私たちはいっぺんに見ている。

それもまた、経験。


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美しいと感じるしあわせ

世の中には美しいものが
たくさんあります。

花、景色、絵画。



「美しい」と感じる心。

それは人間にしかありません。

そのことを考えたことがありますか。



動物が花を愛でている、
景色に感動している、
絵画を鑑賞している。

というのは聞いたことがないですよね。


人間だけが「美」を感じるのです。

それは、
人間の「心」が感じているのです。



動物に心がないとはいいません。

動物たちが愛深いこと、
悲しみ、よろこびを感じていることは、
動物と対話するとわかります。

ただ、
美を美として感じるかというと、
それは少しちがうのです。

飼い主さんが「きれいだねえ」と言った。
それをいっしょに楽しんだ。

ペットさんが感じるのは
そういう感覚です。



人間だけが「美しい」と感じる。

ならば、
それを感じられるしあわせを
味わいましょう。

ひとりで、
誰かといっしょに、
ペットさんと。



「美」は、あなたの中にあるのです。

それを外界に映して感じるのです。

人間だけのすばらしい感覚。


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集中するには

何事も強弱ですよね。

ずっと集中していられる人なんて
いません。

集中しようと思ったら、
その逆と交互にしましょう。

ダラダラする時間が必要だ
ということです。



ここで注意してほしいのは、
集中時間とダラダラ時間の配分は、
時と場合によるということ。

たった5分の集中のために、
1時間近くのダラダラが
必要な場合もあるのです。

そこを理解せずに、
ダラダラ時間が長いことを
責めてはいけないのです。
(自分を責めることも含みます。)




私は大人になった今も、
学校の夏休みの宿題は不要だ
と思っています。

ダラダラしたいならすればいい。

それによって
休み明けの集中力が増すかどうか。
感じるのは本人。

逆に、夏休みを
日頃はやりたくてもできないことに
集中して取り組む時間にしてもいい。



ダラダラか、集中か。
夏休みが始まる前に、
大人がそれぞれの良い点を説明し、
あとは本人が選べばいい。

ずっとそう思っているのです。



日本の学校から
夏休みの宿題がなくなることは
まずないでしょう。

それでもなお、
夏休みはダラダラか集中か、
親子でいっしょに考え、
その上で、
宿題をいつやるのか
決めればいいと思うのです。

宿題、宿題と騒がずに。



大人の場合も同じですね。

自分の置かれた場や
やりたいことによって、
集中とダラダラの配分は、
自分で考えればいいのです。


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