祈りの極意
2013年4月22日
神に懇願することが祈りではありません。
すでにそれが成りたりと宣言し、
成りたることに対して神に感謝することが
本当の祈りなのです。
命の祝詞。
“ い ” のち の “ のり ” と。
命が宣べる ( のべる ) のが祈りです。
「ナニナニしますように」は、
ナニナニが実現することを願っているわけですが、
この裏には、
「今、ナニナニになっていない」という強い思いがあります。
これは、「私はナニナニではありません」と宣言しているのと同じです。
「ナニナニではありません」と繰り返し宣言したとて、
それが成就するはずはないのです。
この世は無から有が生じてできています。
無から有が生じるその一点に向って、
「すでにナニナニである」と宣言すると、
それがその宣言どおりに出てくるのです。
「ナニナニではない」「ナニナニではない」と宣言しても、無は無のまま。
否定形ですからね。
無から生じる有。
それは全て善です。
たとえば、「誰それはすでに不幸です」と宣言すれば、
ライバルを不幸にして蹴落とすことができるのか。
できません。
仮にその悪念があまりに強烈で、
誰それに作用して一時的に不幸な状態を表したとしても、
それは幻なので、続くことはありません。
あるいは、善のもとに引きずり出せば消えてしまう程度のものです。
無から生じる、善である有。
それが成りたりと宣言する。
ところが、宣言した途端「本当かな」と疑ったとしたら、
それも成就しません。
疑うことも一種の否定だからです。
高らかに宣言し、心から信じて待つ。
これが祈りの極意です。
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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。
どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを書いていきたいと思います。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)