日本製と未来

つづきです。


私はできる限り
「日本製」の製品を
買うようにしています。

最近では、
ベランダのサンダル、
お手洗いのスリッパ、
待ち針、
服地、
調理用の木べら、
主人の下着。

サンダルとスリッパは、
前のを10年以上つかい、
ついに形が崩れて
世代交代となりました。

次の10年後、
日本製の
サンダルやスリッパに
出逢えるでしょうか。

消えないでほしい。



「価格は3倍。
持ちは5倍。」

これは、
30年以上前から
私が人に主張してきた
ことです。

そうそう。
ブラウスやセーターで、
当時から着ているものが
あります。
まだ着られます。



日本人の、
品質に対する
飽くなき向上心。

今よりもっと
よいものを。

常に最善のものを。

その姿勢の結果が
価格に反映されるなら、
私はよろこんで
支払います。

ボッタクリとは
ちがうからです。

ゴミの量も
各段に減ります。

持ちが5倍ですから、
ゴミになるのは1/5。



日本人が
日本人を応援しないで、
どうやって
国が繁栄するのでしょうか。

国を造るのは
政府ではありません。

国民ひとりひとりです。

私が、あなたが、
国を造っています。

日本製と不景気

何十年も前に買ったものが
今だ現役で、
そこに「日本製」の
文字を見ると
心から誇らしく思います。

これだけ長持ちするのは、
日本人の、
使う人を思って作る
姿勢ゆえです。



近頃、
安いことが一番という
風潮があります。

(そもそも私は
風潮がきらいです。

「みんなが
いいというから」
は、判断基準には
ならないはず。

「みんな」が
正しい判断をしている
とは限りません。)



安い商品Aと、
同種の、やや高い
日本製商品Bとでは、
決定的にちがう点が
あります。

細やかさ、
真の安全性、等々。

日本人が
長年の工夫と研究を経て、
Bに与えた
技術や価値です。

Aはそれを
いともあっさりと省き、
安く市場に出しています。

どこかの国で作られて。



Aを買う人が増えれば
Bは売れなくなり、
廃盤となります。

Bを作っている会社が
廃業することも
多いのです。



こういったことが、
さまざまな製品分野で
おきています。

廃盤、廃業は
ひっそりとおこなわれます。

技術は継承されなく
なるのです。



安く買う人の心理は、
「得した」というもの。

もちろん、
経済的に苦しいから
という人もいます。

しかし、
忘れてはなりません。

日本の経済は
ひとりひとりが支えている
ということを。

また、経済は循環である
ということも。

自分にできる範囲で
それに参加するのは、
日本を発展させる上で
重要なことなのです。



不景気は
外の誰かが作っている。
自分はその被害者だ。

そう思っていませんか。


つづく。

「はしたない」という感覚を

つづきです。


誰しも、
人から不快な思いを
させられたくは
ないですよね。

あくびはどうでしょう。
出るのはいいとして、
大きく開けた口の中を
見せられるのはちょっと、
と思いませんか。

あくびが出そうになったら
口に手を当てる、
あるいは下を向く。
いくらだって
やりようがあるはず。

大口開けは、はしたない。



食事のマナーも結局は、
気配りが
形になったものですね。

どう食べようと
おいしければいい、
という人もいるでしょうが、
作った方や素材への感謝、
食事を楽しむ思いがあれば、
襟を正して食べる姿勢に
つながっていくはず。

はしたない食べ方は
できないはず。



「はしたない」は、
女にも男にも
当てはまることば。

社会で生きるにあたり、
身につけるべき感覚。

「はしたない」と品格

前回のつづきです。


「はしたない」の
意味を調べてみました。

「慎みがなく、
礼儀にはずれたり
品格に欠けたりして
見苦しい。」



「礼儀」と「品格」は、
男女に共通しているところと
体のちがいによるところが
あります。

前回あげた、
足を開いて座るかどうか。

両足の間に何があるかを
考えれば、
男は多少は足を開いても
品格は保たれるけれども、
女はそうではない、
ということがわかると
思います。

そして、男でも、
大股開きズルズル座りは
品格も礼儀も疑われます。

だから、はしたない。


次は足以外の話です。

つづく。