好きなことをして死ねればしあわせなのか

男 「しあわせになろうね。」
女 「うん。」

と、しっかり約束して結婚したふたり。

ところが、蓋を開けてみると、
男のしあわせの定義と、女のしあわせの定義がちがっていた…

男は、精神的な生長を何よりも大切に思い、
毎月何万円分もの本を買って読む。
家を建てることや資産を作ることには、まったく興味がない。

女は、人生を物質的に楽しむことが喜びだと信じ、
家もほしい、旅行にも行きたい、
そういうところにお金を使うべきだと思っている。

となると、このふたりが夫婦でいても、
どちらもしあわせにはなれません。


げに、ことばの定義はとても大切なのであります。



さて、きょうのテーマ。

「好きなことをして死ねればしあわせ」
は、はたして本当でしょうか。

これも実は、
“ 好きなこと ” と “ しあわせ ” の定義によりますよね。



好きなことをして、結果、誰かに迷惑がかかるなら、
それは “ しあわせ ” とは呼びません。

 “ わがまま ” です。


そもそも、
「好きなことをして死ねればしあわせだよね。」
と言う人は、
自分自身がわがままなところを持っている人です。


私の母は、したくないことは絶対にしない、
たとえそれが義務であっても絶対にしない人でした。

そして、したいことは、どんな理屈をつけてでもする人でした。

たぶん、母のエピソードの数々を聞いたら、
「かわいいお母さんじゃないの。」
ということになるでしょう。

でも、それを家族の中でされたら、
かわいいなどとは言っていられないはずです。

( 数日前、テレビで、
某有名女性歌手の息子さんが、
母親のおもしろエピソードを話していました。
聞き手が、『ユニークなお母さんですねえ』といったら、
彼は、『それを親子でされるとキツイですよ』と答えていました。
その気持ちわかる、と私は思いました。)



私が20代の頃、友人Aクンが結婚することになりました。
Aクンのことは、母も知っています。

彼の結婚式2次会から帰ってきた私は、母に話しました。
新婦さんがいかにわがままか、
新郎新婦がちょっと会話しているのを聞いただけでわかるぐらいだったと。

そして、Aクンは、『僕はわがままな女性が好きなんだ』と言った、と。

すると、わが母は、
「いいなあ。」
と嘆息したのであります。

はい、そうです。
母は、わがまま放題を聞いてくれる人がほしいのです。
そういう境遇になれた、Aクンの奥さんがうらやましいのです。

自分もそういう男性と結婚していたら、
もっとしあわせだったのに…と思ったことでしょう。

( 母はよく、他家のご主人のことをうらやましそうに話していました。
誰々のご主人は、お風呂そうじをしてくれる。
どこそこのご主人は、休日必ず家族を遊びに連れて行ってくれる。
どれも、うちの父がしないことでした。)



そいういう母は、自分のわがままが通ればそれが最高なのです。
彼女はそれを “ しあわせ ” と呼ぶのでしょう。

けれども、母がわがままを通すことで、
家族には、常に、大いなるしわ寄せが来ました。
他人様や親戚の人たちも、困った顔をしていました。

これは、決して、“ しあわせ ” などではありません。

人それぞれのしあわせというものは確かにありますが、
それを逸脱しています。



真の “ しあわせ ” は、普遍的なものであるからです。



たとえるなら、
“ 人の命は尊い ” というのは普遍的な真理です。

それを、ある人が、
「人にはそれぞれの、命に対する価値観があっていい。」
と主張し、
「浮浪者は邪魔者だから、その生命は尊くない。」
という持論を展開したならどうでしょう。
それはちがう、と感じませんか。

それと同じことです。

“ しあわせ ” には幅があってよい。
けれども、普遍的なしあわせの定義はあるのであり、
人に迷惑をかけたり、人の自由を侵害したりする生き方は、
しあわせではないのです。



初めに定義がずれていると、求めても得られません。

定義をしっかり知った上で求めれば、
それは必ず得られます。



ちなみに、Aクンと奥さんは、
子供を3人もうけたあと、離婚しました。

Aクンが、奥さんのわがままに耐えられなかったようです。

あらら。


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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。

平成24年9月30日 (中秋の名月)