「ありがとう」が照れくさいとは
2016年5月16日
母の日が終わり、
父の日がやってきます。
「日頃ことばにできない感謝を込めて」
などといううたい文句が
あちこちで見られる時期です。
「ことばにできない」のですか。
感謝という
一番大切な思いを。
面と向かっていうのが
照れくさいのですか。
そもそも、
「照れくさい」というのは、
相手に
あるいは周囲の人たちに、
許されることで成り立つ感情。
端的にいえば
甘えです。
私、
人生で一度だけ、
「照れくさい」ために行動を起こさず、
後悔したことがあります。
今その相手に会えるのなら
謝りたい。
その方はアメリカ人。
そうです。
「照れくさい」が通用しない範囲の人。
とてもお世話になったのに、
はっきりお礼をいわなかったんです。
そしてそのままお別れになってしまいました。
無礼でしかありません。
世界各国の事情を
知っているわけではありませんが、
「照れくさい」が通用しない国は
ゴマンとあります。
「いわなくてもわかるだろう」
と、何かにつけて日本人はいいます。
そういうこともあるでしょう。
日本人同士なら。
しかし、外国ではそうはいきません。
いわない イコール そう思っていない。
となるのです。
そして、たとえ日本人同士でも、
感謝のことばは
はっきりと口に出していうべきです。
それを
「照れ」だの「見栄」だのを
盾にしていわないのは、
「ありがとう」のすばらしい波動を
無視しているのと同じです。
「ありがとう」は、
いえばいうほど
「ありがとう」な事柄がやってくるのに。
いわれた方も
どれだけうれしいか、
計り知れないのに。
相手も自分もしあわせにすることば。
それが「ありがとう」です。
「照れくさい」は
本当にばかばかしいので、
捨ててください。
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書いていきたいと思います。
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