人は向上する限り老いない

表題のことについて書こうと思っていたら、
ふと目にはいった文章。

「私達がなおなお、いっそうよくなり偉くなりたいのは、
私達自身の本来の性質なのです。

山野 ( やまの ) の草木は
春が来たらスクスク伸びるでしょう。

これは他 ( ひと ) より偉くなって、他 ( ひと ) を突き倒して、
自分だけが偉がるためではありません。

草木には生命 ( いのち ) というものがある。

生命 ( いのち ) のあるものは何でも伸びるのです。

・・・・・生命 ( いのち ) は伸びるのが
本来 ( うまれつき ) なのですから、
伸びなければ不快を感ずるのです。

伸びなければ喜びを感じられないのです。

だから生命 ( いのち ) は伸びるのです。

他 ( ひと ) を突き倒すためではありません。

虚栄心ではありません。いばるためではありません。

私達には生命 ( いのち ) があるのです。

生命 ( せいめい ) があるのです。

では、生命 ( せいめい ) ある私達は伸びよう、
どこまでも伸びて行こうではありませんか。」 

( 谷口雅春「人生読本」)



伸びるのが、人間本来の性質。

人間は、伸びることで喜びを感じる。


それなのに、
ある年齡を過ぎたら、
もう伸びなくていいと決めている人たちがいる。

私にはそれが理解できない。

そう決めてかかって残りの人生を生き続け、
いったい何がおもしろいのだろう。



「ある年齡」がまた、人それぞれ。

30代で、「自分はもう歳だから」と言う人は、
30で伸びることをやめた人だ。


伸びようが伸びまいが、
そりゃあ、その人の自由だ。

けれども、
伸びるのをやめるということは、後退しているということ。
単に停滞しているつもりでも、実は後退の一途。

そうなれば、体も後退するのが道理。
そして、あっちこっち悪くなる。

どんなに早く老けようと、
病気をいくつ持とうとそれも自由だが、
本当ならもっと世のために働けるはずが、
世の中の世話になることになったとしたら・・・。



何も、世話になってはいけないと言っているのではない。

「歳だから」「どうせ自分はもうナニナニだから」と決め、
それが元で人生の何十%かを無為に過ごすのは、
命の浪費だと言っているのです。



自分は最後の最後まで伸び続けた。

そう言って、胸を張って、
この人生を終えたいと思いませんか。


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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。

平成24年9月30日 (中秋の名月)