人は向上する限り老いない
2014年12月15日
表題のことについて書こうと思っていたら、
ふと目にはいった文章。
「私達がなおなお、いっそうよくなり偉くなりたいのは、
私達自身の本来の性質なのです。
山野 ( やまの ) の草木は
春が来たらスクスク伸びるでしょう。
これは他 ( ひと ) より偉くなって、他 ( ひと ) を突き倒して、
自分だけが偉がるためではありません。
草木には生命 ( いのち ) というものがある。
生命 ( いのち ) のあるものは何でも伸びるのです。
・・・・・生命 ( いのち ) は伸びるのが
本来 ( うまれつき ) なのですから、
伸びなければ不快を感ずるのです。
伸びなければ喜びを感じられないのです。
だから生命 ( いのち ) は伸びるのです。
他 ( ひと ) を突き倒すためではありません。
虚栄心ではありません。いばるためではありません。
私達には生命 ( いのち ) があるのです。
生命 ( せいめい ) があるのです。
では、生命 ( せいめい ) ある私達は伸びよう、
どこまでも伸びて行こうではありませんか。」
( 谷口雅春「人生読本」)
伸びるのが、人間本来の性質。
人間は、伸びることで喜びを感じる。
それなのに、
ある年齡を過ぎたら、
もう伸びなくていいと決めている人たちがいる。
私にはそれが理解できない。
そう決めてかかって残りの人生を生き続け、
いったい何がおもしろいのだろう。
「ある年齡」がまた、人それぞれ。
30代で、「自分はもう歳だから」と言う人は、
30で伸びることをやめた人だ。
伸びようが伸びまいが、
そりゃあ、その人の自由だ。
けれども、
伸びるのをやめるということは、後退しているということ。
単に停滞しているつもりでも、実は後退の一途。
そうなれば、体も後退するのが道理。
そして、あっちこっち悪くなる。
どんなに早く老けようと、
病気をいくつ持とうとそれも自由だが、
本当ならもっと世のために働けるはずが、
世の中の世話になることになったとしたら・・・。
何も、世話になってはいけないと言っているのではない。
「歳だから」「どうせ自分はもうナニナニだから」と決め、
それが元で人生の何十%かを無為に過ごすのは、
命の浪費だと言っているのです。
自分は最後の最後まで伸び続けた。
そう言って、胸を張って、
この人生を終えたいと思いませんか。
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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。
どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを
書いていきたいと思います。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)