神はバチを当てるのか

本当の神は、バチを当てません。

本当の神は、お陰もやりません。



人間にはすでに、愛と善と喜びが与えられているのです。
それは、目の前に広がる大海のようなものであり、
そこから汲む量は、自由裁量に任されています。

コップを持ってきたなら、コップ1杯分。
バケツなら、バケツにたっぷり。
プールを持ってきたら、プールになみなみの量を汲めるのです。

厳然とそこにあり、それを自由に汲める。
それが、本当の神と人間の関係です。



バチが当たったと思うとき、
考えられる原因は2種類あります。

1.自己処罰の観念や恐怖

2.祈願した神が低俗であった



1.自己処罰の観念や恐怖

潜在意識であまりにも厳しく自分を裁き、自分を責めてしまう。
そして自分自身に罰を与えてしまう、というもの。
そのぐらいになって当然の私、と思うわけです。

あるいは、「こういう結果になるのではないか」という恐怖が
常につきまとい、その通りに展開するというもの。
病気に対する恐怖。
物事がうまくいくと、その先に必ず落とし穴があるという恐怖、等。



2.祈願した神が低俗であった

日本語で「神」とは、「唯一神」のことではありません。
いろんな段階の「霊」も、神と呼びます。

ですから、信用できる神だと思って祈願したところ、
世俗的な欲望、嫉妬、不満の念を持っている「霊」だった、
ということがあり得るのです。

その霊の気に入らないことがあったために、
不幸な状態にさせられたというわけです。



1も2も、自分が何を信じるかが大元だということです。



自分を含むすべての人間には、
すでに良きものがすべて与えられていて、
それをどれくらい受け取るかは本人の自由だということ。

それを信じるか?



神は人間のような感情を持ち、
ある人にはお陰をやり、ある人にはやらない。
さらにはバチまで当てる。

そんな神は本当の神ではないと、認めるか?



これらの点への認識が、

A.お陰をもらったりもらわなかったり、
 バチが当たったり当たらなかったりの人生。

B.自分の思いひとつで、
 良きものすべてが手に入れられると知り、
 そのために動く人生。


どちらを歩むことになるかを決めるのです。


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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

毎週月曜日 朝8時、更新予定です。乞うご期待。

平成24年9月30日 (中秋の名月)