そもそもが劣等感から

劣等感がまったくない人というのは、
この世にほとんど存在しないと思います。

お釈迦様、キリスト様ぐらいでしょう、
劣等感ゼロなのは。

とはいえ、おそらく彼らだって、
最初から劣等感ゼロだったわけではないでしょう。

お釈迦様は、裕福な家に生まれて苦労を知らないことが
劣等感だった可能性があります。
キリスト様は、
「罪」にまみれた肉体人間であることが、
劣等感だったのではないかと考えます。

そういう劣等感を感じなくてもよいところまで、
彼らは意識を高めたのです。

また、そういうことは劣等感として持ち続けるに値しないと
わかったのです。



劣等感をまったく持たない人はほぼ存在しない。
その中でも、劣等感の強い人とそうでもない人がいる。

このことには、みなさん、うなずいてくださいますね。

何に劣等感を持つかは、まことに千差万別です。

A さんと B さんが同じような境遇に生まれ、
同じような容姿や能力を持っていたとして、
A さんは強烈な劣等感を持ち、
B さんはそうでもないということは、あり得ることです。

どちらが楽に生きられるでしょうか。

B さんですね。



劣等感が小さければ小さいほど、
のびのびと自分らしく生きていくことができます。

それなのに、劣等感を持ち続け、
格闘したり、
隠そうとしたり、
克服しようとしたり、
ナニクソのバネにしたり。

大変な思いをするわけです。

劣等感はその人の人生を左右する。
そういっても過言ではないと思います。



劣等感は、格闘するものでも隠すものでも、
克服するものでもバネにするものでもありません。

お釈迦様、キリスト様のように、
それは感じる必要がないとわかればいいのです。

お釈迦様の出自は、どんなことをしても変えられません。
過去のことですから。
キリスト様が肉体人間に生まれたことも変えられません。
生まれちゃったんですから。

それでも彼らは、そういったことを
劣等感として感じなくなったのです。
その結果、偉大な存在として、
多くの人々を導くまでになったのです。

げに、劣等感の有る無しは、
人間の人生を左右するのであります。



今、私は、何の専門家になろうか、
あれこれ考えているところです。

そして、劣等感を扱おうかと思い始めました。

夢の実現を妨げるのも、
人間関係を悪化させるのも、
能力が発揮できないのも、
劣等感が足を引っぱっているから。

そういう面が大きいと感じています。


私の場合、ですか?

そりゃあ、劣等感に感じようと思えば感じられるところ、
いくつもありますよ。
20代前半まで、劣等感の嵐でした。

今、当時劣等感としていやだと思っていた点が
消滅しているのでしょうか。

そんなことはありません。

それでも、その嵐からは抜け出しています。

お釈迦様、キリスト様まではいかなくても、
のびのびと生きています。

ずいぶんと、楽です。



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「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。

どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

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平成24年9月30日 (中秋の名月)