「ナニナニしないように」はナニナニの素

たばこを吸ったことのない私には、
どんな場面でも、
「たばこを吸おうか、吸うまいか。」という選択肢はない。

たとえ、誰かが吸っているのを目撃してもだ。

喫煙歴のある人で、禁煙しようとしている人は、
「吸わないようにしよう。」と常に思っている。

そう思いながら吸わないのは、とても大変なことだ。



がまんするということは、
そのがまんの対象を常に思い浮かべていることと同じ。
つまり、「ナニナニしないようにしよう。」と思うことで、
かえってナニナニに意識が向きっぱなしになる。
ナニナニを心に強く印象づけてしまうのである。

「レモンを思い浮かべないようにしよう。」と考えてみてください。
そう考えて、頭にレモンの形が浮かばない人はいない。

「ナニナニしないようにしよう。」
「ナニナニを忘れよう。」
「ナニナニから逃れよう。」
は、意識の中で、大いにナニナニを強調する。

だから、かえってナニナニを近づけるのである。



これは、喫煙のような習慣性のものだけにいえるのではない。
いやな経験の記憶、嫌いな人、避けたい未来の不幸。
そういったものも、同じように近づいてくる。

もちろん、喫煙歴のある人には、
脳のニコチンレセプターが関係しているし、
未来の不幸を呼び寄せるのには、別の思いも関わっている。

ただ、少なくとも、
「ナニナニしないようにしよう。」に
強烈なナニナニ引き寄せ効果があることは確かだ。



ナニナニを意識の中からなくしてしまわない限り、
ナニナニはついて回るということ。



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どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを

書いていきたいと思います。

 

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平成24年9月30日 (中秋の名月)

自分を程よく出すにはどうするか

周囲が「なんだコイツ」と思うぐらい強い人。

すぐに他人に合わせてしまう人。

両極端に見えますが、
実はこの2つのタイプ、元は同じなのです。



本当の自分を知らない。



前者は、我を張っています。
鎧を着ているのです。

後者は、なんとなくわかりますよね。
自分に自信がないのです。



鎧タイプは、敵を作ることがあります。
自信なしタイプは、人から利用されます。



鎧タイプは気軽な友だちが少なく、
自信なしタイプは親友がみつかりづらい。



あと、鎧タイプはどんなときにも自分の意見を通そうとする。
自信なしタイプは流される。
ある人たちからしたら、自信なしタイプの方が扱いやすいわけですが。

和を大切にする日本人の感覚からすると、
鎧タイプはめんどうですね。



どちらも、心地よく生きるのが難しいという点は
共通しています。



どういうときに自分の意見をはっきり言うか、
どういうときはみんなに合わせるか。
この加減がわかると、
楽に生きられるようになります。

20代前半までの私が鎧タイプだったから、
よくわかります。



「私はこういう性格だから」で開き直り、
周囲を困らせる人がいます。
それは、本当の自分を出しているとはいえません。

本当の自分を知っていれば、
そんな強情なことは言わなくなります。

たとえ何歳になっても、本当の自分を知る価値はあります。
当然です。
自分自身を知ってこその人生なのですから。



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平成24年9月30日 (中秋の名月)

国を動かす冷静な目を

感情は、行動の原動力だ。
強い感情に突き動かされて行動すると、
ロケットの如く突き進むことができる。

何かを成し遂げようとするとき、
感情を高めるということは大事なことだ。



逆に、感情が操作され、それで動いてしまうこともある。
そんなとき、そのことに気づかないと大変なことになる。

私が言おうとしているのは、個人個人のことではない。
一国が向かう方向のことを言っている。
国民感情を巧みに操作して、
政治を動かそうとする人たちがいるということだ。



おそらく私は、一部の人たちから見たら、
操作しがたい人間のひとりだと思う。

あるいは別の人たちから見たら、
冷たいまでに判断基準がブレないと思う。

自慢しているのではない。

そういう私からみて、
危ないと感じることがよくあるということを言いたいのだ。



大学生の頃、必修科目の授業で、
ある映画を見せられた。
何についての映画だったかは、誤解を招くので伏せるとして、
その映画を見た学生たちのほとんどが、泣いた。

私は泣かなかった。

その映画が、“ 泣かせるために ” 作られた映画だとわかったからだ。
登場人物の境遇への、同情心を煽って。



先日、あるセミナーに出た。
そこでは、成功するには感情を高めることが一番大事と唱えていた。

確かにそうだ。
冒頭にも書いたように、感情は大いなる原動力だ。

ただ、そこで講師の言葉をすべて鵜呑みにして、
ボロボロ泣いている人がいるのには驚いた。

泣くほどの感動。
すばらしいことだ。
けれども、意図的に作られ、感情を煽るものに、
なぜ感動できるのか。
意図的と感じないからだろう。

そういうもので感動してしまう人は、
そういう操作のできる人が政治家になろうとすると、
あっさりその人を支持してしまう。
感動を呼ぶ、すばらしい人だとして。



「かわいそう」という感情もそうだ。
「恐い」もそうだ。

「かわいそう」だからという理由で、
政治を動かしてはいけない。

「恐い」というだけで、
一国を動かしてはならない。



ずいぶん前にもどこかで書いた。
アメリカの大統領が唱えた言葉をそのまま流用し、
人々の耳に心地よく響かせ、
具体的な中身は一切ないまま、
一国を動かす地位にまで登った人のことを。

ちなみに、私の耳には、
彼の言葉は心地よくもなんともなかった。
そして、私同様、
その言葉は上っ面だと唱えていた人は大勢いた。

ところが、そういう人たちの意見は大きく取り上げられることはなく、
大半の人は、彼の言葉に踊った。

そう。敢えて言う。
踊らされたのではない。踊ったのだ。


その結果、どんなことが起きたか。
回避できたはずの惨事が起き、
されなくてもいい誤解を外国からされ。



人は、主体性を持たねばならない。
踊らされたなどと言ってはいけない。
自分が、踊ったのだ。
同じ言葉を聞いた人の中に、
踊らなかった人がいるということを
思い起こしてほしい。



人々の感情を操作する人たち。
それは一部の政治家だけではない。
情報を伝える側にいる人たちの中にも、
そういう人は大勢いる。

そのことをわかって情報に接するのと
そうでないのとでは、大きくちがう。

操作されていますよ、みなさん。
あるいは、操作されかかっていますよ。



情報を伝える側が何をしているかは、
また機会があれば書きます。
私なぞが書かずとも、
そのことを危険だと唱えている人は、
日本の世に大勢いるのですが。



こんなことだけ書くと、
あたたかさのないカウンセラーだと思われるかも。
それは困る。
私のためにも、カウンセリングを受けたいと思う方々のためにも。

だから、弁明しておこう。
私は感動します。

冬、冷たい風にさらされている木々が、
芽吹きの準備をしていることを感じるとき。

春。
木の種類によって形のちがう葉が出るという不思議に。

人間。
ひどい親に、さんざんな目に合わされた人が、
その経験を自分の糧として生きていく強い姿に。

動物。
のら猫の母親が、自分はガリガリにやせながら、
子供にえさを持っていく姿を知るとき。



書いているだけでも泣けてきた。

私の感動は、「かわいそう」からは生まれない。

人から煽られたものからは生まれない。

ましてや、みんなが良いというから良い、
という発想は、みじんもないのだ。

感動は、崇高さから生まれる。



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平成24年9月30日 (中秋の名月)

共通の幸せ

幸せは比較の上にはない。

ほかの人は持っていなくて、
自分が持っているから
幸せなのではない。

そういう基準で幸せを感じていると、
ほかの人は持っていて
自分が持っていないと欠乏感を感じることになる。



では、幸せは自分だけが感じればよいかというと、
それもちがう。

家を建て、すばらしい音響設備を入れて、
好きな音楽をボリュームいっぱいにかける。
「幸せだなあ。最高!」
と感じたとしても、
その音が近所迷惑になっていたら、
それは幸せではない。



幸せは他者より優れていることではない。

幸せは自己満足でもない。

幸せは、自他を生かすことの中にある。



ということはつまり、
幸せは自己犠牲の中にもないということだ。
他を生かすために自分を殺してしまうなんて。





何が幸せか、人によってちがうというのは、
ある意味正しい。

けれども、人類共通の幸せというものもあるはずだ。
そうでなければ、
人間はそれぞれがバラバラな方向を向き、バラバラに行動し、
結局バラバラになる。

人類が共通の幸せを持っていると気づけば、
人類は、実は同じ方向を向いて進んでいるということがわかる。
この瞬間、敵対しているものがあるように見えても、
それは見えているだけで、
心の奥の奥の奥では、皆同じものを目指しているのだ。

あなたの目の前にいて、
幸せになろうとするあなたの足を引っ張る彼も、
実はそう。



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