地球にいる肉体について

あなたの肉体は、
あなた「の」肉体であって、
「あなた」ではない。

それがわかれば、
もっと自由に生きられる。

肉体に関することに
必要以上にこだわることも
なくなる。

自分の肉体と
よい関係でいられる。



肉体は、
魂が自ら作った舞台衣裳。
乗り物ともいえるし、
お宮ともいえる。

あなたの本体は魂。

あなたが
肉体と程よい関係を築けば、
肉体はスムーズに働いてくれる。

すると、
あなたがこの人生で
やろうと思っていたことが
やりやすくなる。

魂には、目的がある。
大切な目的が。

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静かな樹

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渦から離れる

人を振り回す人がいます。
本人は
振り回しているつもりがない。
そこが手に負えないところ。

過去何人か、
友だちの中にいました。
相当、振り回されました。

今、
振り回す人とは
距離を置くことにしています。

そういう人と深く関わるのは、
渦に巻き込まれるようなものだから。



先日、
人々が有名人を非難するサイト
に出くわしました。

容赦ないことばの数々。
自分の素性を明かさなくていいから
書きたい放題です。

非難する同士が非難したりもして、
ドロドロ。

こういうものにも、
関わらないのが賢明です。

渦ですから。



こういった渦は、
類は友を呼ぶでどんどん巨大化し、
何かの現象として
社会に現れるかもしれない。

でも、そこで自壊します。
単なる渦ですから。



よくない渦は
放っておけばいいのです。

あちらにこちらに
渦ができようとも、
あなたはあなたの位置にいて、
穏やかであればいいのです。


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「快」のレベルいろいろ

人生を楽しむのはよいことですね。

悪だと思っている人もいるのですが、
それはさておき。

人生を楽しみたい人に、
ちょっと立ち止まって
考えてみてほしいことを。

「快」の種類についてです。



体を楽しませることは
ある程度は必要です。
体が働いてくれていることへの
お礼ですね。

ある程度と書いたのは、
体の「快」だけを
追求するようになると、
そのほかがおろそかになるから。


心を楽しませることは、
体を楽しませることよりも
レベルが高いと思いませんか。

でも、これだって
追求し過ぎると
日常生活に支障をきたします。

体の「快」も
心の「快」も、
どうぞちょうどよい量に。



さらにレベルが高いのは
魂の「快」。

これは、
体や心の「快」と
相反することがありますね。

いつもとは限りませんが。



つまるところ、バランスです。

体も喜ぼせてください。

心も喜ばせてください。

そのとき、
魂の喜びを根底に置いてください。


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ひとりが好き

もしあなたが今ひとりでいても、
あなたは孤独ではありません。

人はみな、
心の奥底でつながっているから。

たとえ無人島で
ひとりで暮らすことになっても、
あなたはひとりじゃない。



と、極端なことを書きましたが、
私はひとりでいるのが好きです。

自分でも驚くほど、好きです。



多くの人たちと過ごすときは、
その場の雰囲気を大切にします。

誰かが疎外感を感じないようにとか、
場がシラけないようにとか、
けっこう気を使います。

みんなとなごやかに過ごせたら、
ああよかったなあと思います。

でも、一番好きなのは
ひとりでいること。

いやいや、厳密にいえば、
気心が知れていて
かつちょうどよい距離の友人と、
ボチボチ連絡を取ったり
会ったりする。

そういう関係の人が
何人かいた上で、
たいていはひとりでいる
というのが心地いいのです。

つまり、やっぱり
無人島にいたくはないのです。



何がいいたいかというと。

人はみな心の奥底でつながっている
とわかった上で、
自分なりの人間関係の距離を
作ればいいと思う。

ということ。

だからもちろん、
大勢でにぎやかに過ごすのが好きなら、
それはそれでいい。

人それぞれ。



仕事を選ぶとき、
自分自身の
人との関わり方の好みを知っているのと
いないのとでは、
大きくちがってきますよね。

二十代の頃、
自分は多くの人と
常に関わっているのが
性に合っている
と思い込んでいた私は、
それを前提として
仕事を選んでいました。

今ならわかる。
前提がちがいますよ、と。


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見えるものは無くて、見えないものが在る。

見えるもの触れるものが
在る(ある)のだと、
普通は思います。

でも、
見えるものを見ている、あなたの目。
それが在ると証明できるでしょうか。

まぶたの上から手で触ってみて
「目が在る」と証明したというなら、
感じたその手が
在ると証明できるでしょうか。

証明は、
証明している側の目や手や脳が
存在しているという、
暗黙の前提で成り立っています。



在ると思っているものは、
見る触るなどの五感で
そう感じているだけ。

実は、無い。



在るのは、
在ると思っているものの奥。

奥といっても
物理的に奥なのではありません。
物理的な距離も、
在るように見えて無いのですから。



何が在るのか。

何が無いのか。



善はある。

愛は在る。

光は在る。

喜びは在る。

豊かさは在る。



本当に在るものだけを
心の目で見つめる。

するとそれは
形となって現れる。

形といっても
固形物とは限らない。

人との関係。
毎日の小さなできごと。
大きなできごと。
人生の方向性。

そういった形。



あとは、悪と格闘しないことです。

悪は闇。
闇は消えます。
無いんだから。

在るものだけ見ていればいいのです。


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