神道という宗教
2024年12月23日
つづきです。
教えを唱えた人。
それを伝える人。
唱えた人はひとりでも、
伝える人は複数。
または代替わりする。
同じ説法の中の、
どこに強く惹かれるかは
人それぞれ。
だから
教えは変遷したり、
宗派が生まれたりする。
その時代の
為政者にとって
都合のいい解釈になる、
ということだってある。
日本の神道は、
宗教なのだけれども
「教典」がない。
これは
他国の人から見ると
驚くべきこと。
教典がない。
教典がないから、
解釈がちがったり
変遷したりすることも
ない。
そのため神道は、
争いの元を造らない。
こう言い切ったら
驚きますか。
「宗教、きらい。」
といいながら
神社参拝はする人が多い。
それは神道の、
ちがいを造らない性質に
起因するのではないか、
と私は考えています。
「宗教」と解釈
2024年12月16日
「宗教」のちがいが
戦争の元になる。
平和をもたらすどころか、
命を奪い合っている。
おかしいじゃないか。
これは、
子どもの頃からの
私の大きな疑問でした。
それに
答えをくれそうな大人は、
周りにいませんでした。
今の私なら、
子どもの頃の私に
答えてあげられます。
「教義の解釈が、
溝を作ったのだ」と。
釈迦が話したこと。
キリストが話したこと。
それらが後世で
宗派に分かれていく。
本人たちの話が、
さまざまに解釈されて。
ましてや、
教祖の違う宗教となれば。
そしてそのちがいから、
相手を認めることが
できなくなり、
戦争となるのです。
やっぱりおかしい。
つづく。
「宗教」と政治・文化
2024年12月9日
前回のつづきです。
日本人は、
宗教を毛嫌いしつつ、
たとえばアメリカの、
政治に宗教色が
濃く出ていることには
何もいわない。
また、アメリカ文化は
好きだという。
アメリカ文化には、
キリスト教が
たっぷり含まれています。
わかりやすいのは
クリスマス。
アメリカ人でも
非キリスト教信者は、
「メリー クリスマス」
とは絶対にいいません。
そう書いたカードも
送りません。
たとえ相手が
キリスト教信者でも。
自分は別宗教の信者
なのですから当然です。
日本人は、
神社への参拝と宗教は
別ものだと思っているので、
他国の、
宗教と政治・文化の関係を
自分たち基準にします。
まあ、いいじゃないか、と。
ほんとはよくないですよね。
宗教への厳格な考え方を持つ
他国の人々からしたら。
ただ、
「宗教への厳格な考え方」が、
国の中での紛争や
国同士の戦争の
大きな一因になっていることは
事実です。
つづく。
「宗教」ということば
2024年12月2日
今の日本では、
「宗教」ということばに
拒絶反応を示す人が
多いですね。
〇〇〇真理教の事件が
大きなきっかけ
だったと思われます。
「宗教はきらい。」
「私は宗教とは関係ない。」
そういいながら、
神社には
せっせとお参りする。
御朱印集めなどする。
絶体絶命になると
神頼みする。
結婚式を挙げるため、
にわかキリスト教信者
になる。
クリスマスには
「メリークリスマス」
といってお祝いする。
お葬式はお寺に頼む。
これらは十分、
「宗教」なのに。
「宗教がきらい」
なのではなく、
「宗教団体がきらい」
「歴史のない宗教がきらい」
なのではないですか。
これ、かなり
あいまいな線引きです。
キリストが
教えを説いたとき、
弟子たちが
ひとかたまりいました。
いわば団体ですね。
教えを説き始めたばかり
ですから、
歴史はゼロです。
それでも、
何百という人が
彼の話を聴こうと集まり、
彼について回りました。
団体ですね。
そういったことが
王からきらわれ、
キリストは磔(はりつけ)に。
現在、「宗教」として
みなさんが認めている
キリスト教の話です。
つづく。