不幸に酔いしれる自由

日本人にも、こういう方がいます。

自分の不幸、苦しいこと、つらいこと
についてとうとうと語る。

聞いてくれる人がいるなら、
誰かれかまわず、必ず語る。

ところが、
うれしいこと、恵まれていること、
楽しいことについては、
ほんのひとことしかいわない。
「うれしいです」
「よかったです」


こういう日本人は、
しあわせが長持ちしないタイプです。

ほとんどの時間、
不幸に意識を向けているからです。


おそらくそういう方は、
「だって、私の人生、
つらいことばかりなんです」
とおっしゃるでしょう。

だから、そのつらさを人に聞いてほしい。

他人はしあわせそうに生きているのに、
自分は不幸が重なる運命のようだ、
と信じていらっしゃるのでしょう。


しかし、
ひとたび日本の外に目を向けたならば、
衛生的でない地域に住む人、
迫害されている人、
基本的なことすら得られない人たちが
大勢います。

そう、このことを言いたくて、
初めに「日本人にも」と書きました。



何事も比較する必要はありません。

誰々よりはましだから、ま、いいか。
という考えはよくないのです。

それにしても、
日本に住んでいるというだけで、
「うれしいです」
「よかったです」
では済まない恵みを
毎日毎日ふんだんに受けています。

そこに目を向けず、
自分を不幸だと思うのは
その人の自由。


しあわせを呼ぶのも自分。
不幸を嘆くことに酔いしれるのも自分。

その自由があることすら、
すごいことなのです。



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メンタルコンサルテーション
静かな樹

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