静かな樹 女性のための茶話会 ( 第1回 )
2013年4月25日
ずいぶん前から、セミナーをやりたいと考えていました。
そしてついに!
茶話会のお知らせです!!
★ 静かな樹 女性のための茶話会 ( 第1回 )
と き 5月26日 ( 日 ) 13:00~16:00
ところ メンタルコンサルテーション静かな樹
参加費 5,000円 ( 当日現金でお願いいたします。)
セミナーよりもさらにこじんまりした集まりを持ちたいと思います。
第1回目のテーマは、「女性らしさ ~ 幸せ体質になるには ~」です。
女性として輝いて生きるためには、
まず、真の女性らしさを知り、
真を芯とすることが大切なのではないでしょうか。
私からお話しいたしました後、
疑問にお思いのことについてお答えする時間を設けます。
どうぞ、なんでも聞いてください。
(追加情報あります。こちら。)
参加ご希望の方は、
・お名前
・ご住所
・電話番号
・メールアドレス
をお書きになり、
宛てにメールをお願いいたします。
その際、こちらからの返信が届くよう設定をご確認ください。
なお、今回は日曜日ですが、6月には平日の開催も考えております。
参加したいのでこの曜日にしてほしいというご希望がありましたら、
お知らせください。
曜日決定は早い者勝ちです!
どうぞお気軽にお越しください。
ウィーンのおいしい紅茶、アッサムゴールドチップを用意して
お待ちしております。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「静かな樹」は、カウンセリングとヒプノセラピーのサロンです。
どのような考え方に基いてカウンセリングを行っているのかを書いていきたいと思います。
毎週月曜日 朝7時、更新予定です。乞うご期待。
平成24年9月30日 (中秋の名月)
祈りの極意
2013年4月22日
神に懇願することが祈りではありません。
すでにそれが成りたりと宣言し、
成りたることに対して神に感謝することが
本当の祈りなのです。
命の祝詞。
“ い ” のち の “ のり ” と。
命が宣べる ( のべる ) のが祈りです。
「ナニナニしますように」は、
ナニナニが実現することを願っているわけですが、
この裏には、
「今、ナニナニになっていない」という強い思いがあります。
これは、「私はナニナニではありません」と宣言しているのと同じです。
「ナニナニではありません」と繰り返し宣言したとて、
それが成就するはずはないのです。
この世は無から有が生じてできています。
無から有が生じるその一点に向って、
「すでにナニナニである」と宣言すると、
それがその宣言どおりに出てくるのです。
「ナニナニではない」「ナニナニではない」と宣言しても、無は無のまま。
否定形ですからね。
無から生じる有。
それは全て善です。
たとえば、「誰それはすでに不幸です」と宣言すれば、
ライバルを不幸にして蹴落とすことができるのか。
できません。
仮にその悪念があまりに強烈で、
誰それに作用して一時的に不幸な状態を表したとしても、
それは幻なので、続くことはありません。
あるいは、善のもとに引きずり出せば消えてしまう程度のものです。
無から生じる、善である有。
それが成りたりと宣言する。
ところが、宣言した途端「本当かな」と疑ったとしたら、
それも成就しません。
疑うことも一種の否定だからです。
高らかに宣言し、心から信じて待つ。
これが祈りの極意です。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)
向上したくない心に打ち勝つ
2013年4月15日
なんと、「向上したくない心」というのがあります。
今のままでいい、その方が安全だという心。
つまり、変化への恐れがあるのです。
ここ半年、シータヒーリングTMというものを勉強しておりまして、
自分でも驚く速さで次々とセミナーを受講しております。
ところが、申し込んだセミナーに行こうとすると、
信じられないハプニングが起きるのです。
ある日は。
会場までの時間や電車を調べ、◯時△分に家を出ると決めてあった。
その30分前に着替えて用意すればいい。
居間の壁時計で時間を見ていた。
たまたまお手洗いに立ち、
ふと洗面所の時計を見た。
すると!
洗面所の時計は、
◯時△分まであと5分の時刻を指している。
狐につままれたような気持ちで再び居間の時計を見た。
居間の時計は…止まっていた。
あり得ない。
うちに来て10年の壁時計。
電池がなくなりかけると、
ちょっと時間が狂うという方法でそれを知らせてくれていた。
いきなり止まるなんてこと、今まで一度もなかったのだ。
それなのに。
慌てて支度して飛び出し、なんとか遅刻はしないで済んだのだった。
別のある日。
会場に15分前には着くことをモットーとしている私は、
予定どおりの時間の電車に乗った。
電車が発車してふた駅ほど行くと、車内アナウンスがはいった。
「この先の☓☓駅で信号トラブルが発生しました。
電車は、□□駅で折り返し運転になる可能性があります」
私が乗り換える駅は□□駅の先。
その手前で降ろされては困る。
急きょ、別のルートで行くことに。
乗り換え回数は増え、時間は長くかかった。
それでも、なんとか遅刻はしないで済んだ。
さらにまた別の日。
会場へ行く前に、某駅でデパートに寄った。
用事を済ませ、お手洗いに行って、それから電車に乗った。
ここまでは予定どおり。
目的地の駅で降り、歩き出してから突然気づいた。
「化粧ポーチがない!」
お手洗いの洗面台の上に置いてきたのだ。
あり得ない。
忘れものというものをほとんどしたことのない私。
人生で、雨傘を置き忘れたことは皆無、が自慢。
その私が、
三種の神器のひとつともいえる化粧ポーチを、
置き忘れるなんて。
すぐにデパートに電話し、遺失物として届いていないか尋ねた。
届いていない。
届いたら連絡をくれるとのことで、ポーチの特徴を聞かれた。
セミナーに参加はしたものの、気が気ではない。
休憩時間にもう一度デパートに電話。
届いていない。
もしや、実はお手洗いではなく、
バッグの中から財布を取り出すときに、
ポロリと落ちたのではあるまいか。
電車の中か駅のホームで。
セミナー終了。
20%ぐらいは、心ここにあらずだった。
デパートから留守電はいっていない。
さあ、そこから、私のポーチ探しの旅が。
鉄道会社3つにまたがったルートで来たので、
帰路、それぞれの乗り換え駅で事務室に行く。
ない。どこにもない。
ほとんど諦めかけた気持ちで、最初のデパートへ戻った。
エスカレーターを上っている途中、
「遺失物係」の札が見えたので寄ってみた。
届いたら連絡をくれると言っていたのだから、
届いているはずはないのだが。
と、
「たった今、届いたところです」
と言われ、私の愛するポーチがそこにいた。
しかも、私が利用したのとは別の階のお手洗いで発見されたとのこと。
そこへ移動させた人の意図はわからない。
でも、店員さんに届けることなく、そこまで持って行ったらしい。
とにもかくにも、ポーチと中身は無事だった。
いや、中身ときた日には、
高そうなコンパクトなぞははいっていないのだが。
そんなこんな。
私の顕在意識(表面の心)は、
セミナーを受けて向上したい、変化したいと願っている。
ところが、潜在意識(奥に隠れた心)は、
向上などせずにこのままでいたいと言い、足を引っ張ったのだ。
潜在意識も自分の心の一部ですから、
その有り様に責任を持つのは自分です。
私は、セミナーに行かせまいとする潜在意識に打ち勝って、
なんとしてでも行く方法を見つけたのでした。
その結果、今、私はどんどん変化していっています。
どんなふうに?
軽やかに。
真の幸せとは何か。
それをはっきりと知り、
それに向かって舵取りすると決めたとき、
妨げるものはサラリと乗り越えればよいのです。
その方法は、必ずあります。
「意志あるところ 道あり」であります。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)
100点を目指す自分
2013年4月8日
テストで100点を取ろうと努力すると、
90点を取ることができる。
初めから80点しか目指してないと、
70点止まりだ。
そうやってどんどん自分を落としていく。
あるいは、「自分はこんなもん」と過小評価する。
もったいないと思いませんか。
100点目指すなんて、おこがましい。
と、瞬時に思ったとしたら、
それはすでに自分に過小評価を下している証拠だ。
100点目指す価値のない人なんて、
この世に存在しないのに。
神様から見れば、
人間みんな、個性において100点満点。
それを見出さないのは、
神様に失礼ではありませんか。
人生というキャンバスの上に、
人間がその個性あふれる絵を描き切ったとき、
初めて神様は、神様自身を表現したと言えるのです。
人間は、神の自己表現の噴出口。
それをこちらが勝手に止めるか、止めないか。
それだけ。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)
Dのひとつ
2013年4月1日
「でも」「だって」「だから」「どうせ」。
使わない方がいい、“ 4つのD ”。
きょうは、「でも」に焦点を当てます。
その前に、ほかの3つについてサラリとご説明。
・だって
だって、◯◯なんだもん。
のように、言い訳に使います。
子供っぽいですね。
言い訳たらたらな感じがします。
・だから
だからぁ、△△でしょう?
必要以上に理屈っぽく聞こえます。
言われた方はどんな感じがするでしょうか?
・どうせ
どうせ僕は結婚できないんだ。
あきらめ、卑屈。
突破口を見出す気持ちが感じられません。
そして、「でも」。
前の文を否定するときに使います。
ところが、そういうときとは関係なく、
口癖になってしまっている人がいるのです。
口癖ですから、本人は気づいていないことが多い。
テレビのコメンテーターや司会者で、
「でも」が口癖の人、けっこういるんですよ。
こんど気をつけて聞いてみてください。
私が今思い浮かべられる人だけでも3人いる。
自分が口を開くきっかけが、「でも」になってしまっているのです。
何を話すにしても、「でも」から始まる。
これはよくありません。
常に否定しているようなものだから。
本人は、特に何を否定しているつもりではないにしても。
言霊(ことだま)は言葉のエネルギー。
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平成24年9月30日 (中秋の名月)